石田的「平成最後の紅白雑感」(石田純一)

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石田純一の「これだけ言わせて!」 第18回

 わが家は毎年、大晦日にテレビのチャンネル争いがある。妻の理子はダウンタウンを観たがって、「替えていい?」と言うのだ。ちょこちょこ替えながらなので、紅白が落ち着いて観られない。数年前、僕は「トイレの神様」といきものがかりの「ありがとう」を観たかったのに、チャンネルが紅白に戻されたときはもう曲の最後のところで、「ふざけるな!」と喧嘩寸前になったこともある。今年は出場順を確認しながらだったので、まあ、なんとかなったが。

 で、今年の紅白だが、昭和組がよく頑張って楽しかったなぁ。平成の終わりでの集大成だった。ユーミンもサザンオールスターズも、僕が大学生のころに出てきて大スターになったのだ。特にユーミンの曲はいま聴いても古さを感じない。ご主人でアレンジを手がける松任谷正隆さんが才能に恵まれた人で、30年後、40年後を見据えていたように思える。ユーミン、桑田さんのほかに、いまヨーロッパでウケている山下達郎さん、ほかに稲垣潤一さんらもいて、あの一連の流れが平成初期にかけ、オシャレなフレーズでトレンディドラマの下地も掘り起こしたのだ。

 今回、桑田佳祐さんは捨て身で白組の応援に参加するなど、いろんな意味で芸人だと改めて感じた。周りは彼を大御所扱いするが、本人はどこ吹く風。その辺りも魅力だ。またユーミンは、昔の声とは違うかもしれないが、声から艶が失われた分、逆にリライアビリティがあってウソっぽくないのだ。

 ユーミンの歌を聴きながら、いろんなことを思い出した。「海を見ていた午後」という曲に横浜の山手の「ドルフィン」というレストランが出てくるが、彼女はそこから見える情景を「ソーダ水の中を貨物船がとおる/小さなアワも恋のように消えていった」と歌詞に書いた。ふつうは、恋も小さなアワのように消えていった、となるところが、なんてセンシティブなのか。あのころ僕も女の子を連れてドルフィンに行ったものだが、カネがなくて、クルマも親のものだから制約があって、ランボルギーニに乗っているお坊ちゃまには敵わなかったなぁ。

 紅白に石川さゆりさんと布袋寅泰さんの組み合わせにも、去年まではなかったチャレンジャブルな姿勢が感じられて、よかったと思う。

 一方、2018年を象徴したのが米津玄師だった。彼が歌った徳島の美術館は、今年になって客が急増したそうだが、米津君の歌を聴きながら、地方の箱モノについても考えてしまった。彼は既存の美術館で歌ったからいいけれど、ご当地云々を建てるときは身の丈にあったものにすべきだろう。

 今年の大河ドラマ「いだてん」の主人公の金栗四三。その生地である熊本には記念ミュージアムができた。金栗といえば、マラソンで当時の世界記録を出し、1912年のストックホルム五輪でマラソンに出場したが、途中で行方不明になった。40度の猛暑下で意識を失って倒れ、近くの農家で介抱されていたのだ。それから54年、1967年にストックホルム五輪55周年記念式典に出場した75歳の金栗は、競技場を走ってゴールテープを切り「54年と8カ月云々」という記録が読み上げられた。そんなエピソードがある。

 その金栗四三ミュージアムは1年限定でオープンするという。実際、3年前の大河のご当地などみな覚えていないのだから、立派な箱モノを作っても、早晩だれも来なくなる。1年で取り壊すというのは、身の丈に合った賢明な判断だ。

 たとえば、ロンドン五輪の競技場は、ウエストハムというプロサッカーチームが借りているが広すぎて、ただでさえ維持費が巨額なのに、毎回仮設の観客席を陸上のトラック部分に設ける必要があるなど、大変な金食い虫になっているらしい。そして近い将来、ウエストハムが自前のサッカー専用スタジアムを作って出ていったら、誰が維持費を負担するのか? あのバイエルン・ミュンヘンにも同じような問題があったが……。

 そんなことにまで考えが及んだ、平成最後の紅白だった。

石田純一(いしだ・じゅんいち)
1954年生まれ。東京都出身。ドラマ・バラエティを中心に幅広く活動中。妻でプロゴルファーの東尾理子さんとの間には、12年に誕生した理汰郎くんと2人の女児がいる。元プロ野球選手の東尾修さんは義父にあたる。

2019年1月16日掲載

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