御代替わりで“お引越し”の両陛下、1年半の大計画 高輪で仮住まい

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「御用邸」案も

 およそ200年ぶりとなる上皇をお迎えする地は、一般には旧高松宮邸として知られている。

「江戸時代は肥後細川家の中屋敷でした。1891年から明治天皇の皇女が住まわれ、ここから『高輪御殿』と呼ばれたのです」

 とは、さる皇室ジャーナリストである。

「1913年からは当時の皇太子さま(のちの昭和天皇)が8年間過ごされますが、関東大震災で全焼。高松宮さまが移ってこられたのは27年で、3年後には徳川喜久子さんとご結婚。以降はご夫妻でお住まいになってこられました」

 戦後は高松宮さまのご意向で面積が縮小され、払い下げられた土地には区立中学や都営アパート、港区役所の支所などが建てられた。

「敷地内の本館は『光輪閣』として改装され、結婚式場など一般に貸し出されてきました。その光輪閣も72年、老朽化のため取り壊され、翌年にはそこに再び平屋建ての本館が建てられました」

 高松宮ご夫妻はここに終生住まわれたが、87年に宮様が、そして2004年には喜久子妃が薨去(こうきょ)され、以降は無人である。先の記者は、

「高輪の敷地面積はおよそ2万平方メートルと、皇居の50分の1以下。両陛下の“セカンドキャリア”は、ややこぢんまりとした舞台からスタートすることになります」

 というのだが、

「身の回りの生活用品から調度品、お召し物まで、すべて両陛下のご判断を頂かなければ移せません。作業は膨大で、搬送は到底5月1日までには終わりそうにない。お引越しで慌ただしい間は、ひとまず葉山御用邸でお過ごし頂く案も出ています」(同)

 やはり只事ではないのだ。

週刊新潮 2019年1月17日号掲載

特集「『御代替わり』7つの謎」より

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