逆ギレ「韓国」に対して「遺憾」を繰り返すだけで国は守れるのか
「誠に遺憾」「冷静に対応」「適切な説明」「毅然とした対応」……近隣国とのトラブルが起きるたびに、政府や政治家からはこうした言葉が繰り返される。直近で言えば、レーダー照射事件や徴用工問題に関連してのコメントがそれにあたるだろう。
「韓国側の責任を日本側に転嫁しようというものであり、極めて遺憾だ」
「差し押さえの動きは極めて遺憾」
「日韓関係は非常に厳しい状況にありますが、わが国の一貫した立場に基づき、韓国側に適切な対応を求めていきたい」
「このような事案(レーダー照射)が発生したことは極めて遺憾であります。引き続き韓国側に再発防止を強く求める」
改めて年末年始にかけて菅官房長官の談話を並べてみても、いつも通りのテイストで一貫しているように見えるだろう。官房長官に限った話ではなく、これは日本政府の通常の姿勢である。首相も外相も大差ない。
逆ギレ的な振る舞いを続ける隣国に対して、日本は一貫して「大人の対応」をしている、と言えば聞こえは良い。しかし、こうした対応に対して国民の間にはフラストレーションが溜まってきているようにも見える。ネットの関連記事のコメント欄には、「もっとハッキリとモノを言え」という比較的マイルドなものから「国交断絶だ」「実力行使だ」といった過激なものまで、さまざまな批判的意見が多く寄せられている。
こうしたフラストレーションの背景にあるのは、こんな気持ちだろう。
「これまでも常に日本は、冷静で常識的な対応をしてきた。きちんと振る舞えば、相手も、国際社会も理解してくれるはずだ――と。しかし、実際には何度説明しようが、相手は変わらない。これではなめられっぱなしではないか」
実のところ、断交や実力行使などがすぐに採れる解決策ではないことは多くの日本人が理解している。しかし一方でフラストレーションが解消されないのは、政治家たちのコメントに、国民の気持ちに訴えるところがない点かもしれない。
言っていることは正しくても、血が通っていない。
これでは国民の気持ちは掴めない。ましてや外国にアピールできるはずがない。それでは相手に圧倒されてしまうのも無理はない。
ベストセラー『国家の品格』の著者で数学者の藤原正彦氏は、新著『国家と教養』の中で、知識だけを詰め込んだ「頭でっかち」では、国を率いるリーダーとしては不適格だ、と指摘している。知識に「日本人としての情緒や形」が加わってこそ、意味がある、しかし日本の官僚や政治家などには、それを身に付けている人が少ない、というのだ。
日本が諸外国に圧倒されることが多い根本の原因を辿っていくと、ここにある、というのが藤原氏の主張である(以下、引用は『国家と教養』より)。
「日本人としての情緒や形を持たない人間は、舶来の形にあっと言う間に圧倒されてしまいます。大正時代以降の教養層は、大正デモクラシーに圧倒され、次いでマルクス主義に圧倒され、ナチズムに圧倒され、戦後はGHQに圧倒され、今ではグローバリズムに圧倒されています」
こうした「日本の知識人のひ弱さ」は、日本人としての情緒や形を軽侮したことに原因があるのではないか、情緒や形も含んだ真の教養こそが、国を守ることにつながるのだ、と藤原氏は指摘したうえで、興味深い逸話を紹介している。
「江戸末期、江戸に来たイギリス人達は、普通の庶民が本を立ち読みしている姿を見て、『この国は植民地にはできない』と早々と諦めました。『自国を統治できない無能な民のために我々白人が代わって統治してあげる』というのが植民地主義の論理でしたが、庶民が立ち読みする光景は本国にもないものだったからです。読書は国防ともなるものです」
先人たちは、その日常の姿を見せることで、外敵を退けた。
現代の政治家たちの官僚答弁にはそうした効果は期待できない。情緒のみで判断する政府は問題としても、国民の気持ちを掴めない政府にもまた別の問題があるのではないか。