霊長類最強「吉田沙保里」引退 父・栄勝さんが語っていた“結婚は外国人と…”の真意

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取材・文/粟野仁雄(ジャーナリスト)

 カメラマンが期待した涙はなかった。強いだけではない、誰よりも美しく聡明な女性の姿があった。1月10日、レスリングのヒロイン、吉田沙保里さん(36)の記者会見に神戸から東京・新宿の京王プラザホテルに駆け付けた。

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 会見は日本レスリング協会ではなく、彼女の個人的事務所「YSW Tokyo」の主催。

 ポニーテールに白いジャケット姿で謝意を述べ、「若い選手たちに、女子レスリングを引っ張っていってもらいたいという思いになりました」などと引退決意の動機を話し、「初めて負けた人の気持ちが分かった」とリオの銀メダルが一番印象に残っていることを明かした。ヤワラちゃん(柔道の谷亮子さん)に金メダルを見せてもらい、「金メダルを目指した」などと話した。結婚の予定を問われて「ないです」。政界進出には「全然ありません」など質問すべてに明快に答えた。育ての親で至学館大学の栄和人前監督をめぐるパワハラ騒動については「(私を)ここまで世界で活躍する選手に育ててくださった栄監督と共に戦ってきた仲間(伊調馨選手)がああいう状況になってしまったことは本当にショックだった」としながらも「真実ではない報道もあったかもしれない」と話した。

 母の幸代さんが娘に花束を贈呈。カメラマンの「お母さん、沙保里さんを抱きしめてあげてください」の“やらせ”に親子は笑顔で応じ、娘が退場した後は、幸代さんと兄の栄利さんが礼を述べて会見した。幸代さんは「霊長類最強、ってゴリラみたいで。娘は一応、女なのでエーッと思ったけど……」などと会場を笑わせた。兄栄利さんの「自分もレスリングやっていたが、自分だけならレスリングが嫌いになっていた。妹のおかげで好きになれた」もいい言葉だ。
 
 昨年12月、伊調馨選手が優勝した全日本選手権を取材した。吉田沙保里さんは初日、マット脇でセコンド役をこなしていた。2日目、少しおしゃれをした彼女と会場ですれ違った時、今までになく“女性”を感じた。協会の親しい知人に思わず「沙保里さん、ずいぶん綺麗になったね」と話したが、同時に引退を確信した。

日本の男は骨格が…

 引退を最初に打ち明けたのは母幸代さんだった。以前、ご両親(幸代さんと故・栄勝さん)を三重県津市の自宅で取材した。楽しいインタビューのさなか、筆者が「お嬢さんのお尻って高い位置が飛び出して日本人離れしていて恰好いい形ですね」と言うと、幸代さんは「私もそう思うんです。小さい頃から“みなしごハッチ”って言われていたんですよ」と喜んでくださり、変なこと言ってしまったと悔いた直後だけに救われた。

 中学の時に骨折して、沙保里さんが試合に出ないでいいと思っていたら、父に「片腕でも勝てる」と怒られ、ボルトで腕を固定して出場して優勝した逸話は有名。栄勝さんは「最後まで勝てなかったのが聖子(山本[ダルビッシュ有夫人])、本当に強かった」と話していた。

「お嬢さんの結婚は」と聞くと、栄勝さんは「外人の男と結婚させたい。絶対、外国人がいいんだ」と強調する。理由は「日本の男は骨格が貧弱だけど外人は骨格がいい、強いレスラーが生まれる」だった。この男はレスリングしかないのか、と唖然としたものだ。今回の会見後、兄の栄利さんに「そんなこと妹さんに言ってたんですか?」と問うと、「もう父はレスリングだけですから」と笑って肯定した。

 栄勝さんの厳しい指導に泣くこともあった沙保里さん。慰め役の母も甘やかすことはなかった。実は両親は国体で知り合った。幸代さんはテニスの選手。栄勝さんはもちろんレスリング。栄勝さんは日本一になったが五輪代表にはなれなかった。幸代さんも国体は補欠で本戦出場はできなかった。そうした悔しさを持つだけに、果たせなかった夢を、自宅に道場まで作って子供たち託す夫に、理解があったのだろう。
 
 引退発表の一報が流れた1月8日、ともすれば、栄氏のパワハラ騒動が心労となり引退を早めたような印象の報道もあった。「あの騒動が妹さんの引退を早めた一面はありますか?」と栄利さんに訊くと、「それは絶対にないですよ」と一蹴した。

栄和人監督はどう見たか

 引退会見の生中継をテレビで見ていた栄氏は「様々な労苦がよぎり、涙が出そうだった」と語る。「大学に来た頃は、血中のヘモグロビンの値も平均的な成人女性よりずっと低く、低血圧だった。食が細く、食べ物の好き嫌いが激しかった。私は厳しく鍛えるばかりでしたが、谷岡(郁子)学長から『鍛えるだけでは駄目よ、栄養面なども考えなくては』と言われ、1日5食にして総量を増やすなど食生活を改善した。するとみるみる筋肉がつき、最後まで立ちはだかっていた山本聖子さんをジャパンクイーンズカップ(02年)で破って、トップレスラーに躍り出てくれました。去年は心配をかけて本当に申し訳なかった。会見でもそんな私を気遣ってくれて感謝しかありません。ありがとう」と話す。

 カメラマンの最前列席(場所取りの抽選で偶然そうなった)で吉田沙保里さんを見守り、ここまで聡明な女性だったのか、と再認識させられた。

 今後のことを訊かれ、「女性としての幸せを絶対につかみたい」と明快に語り、「恐れ多いのか、追いかけても、みんな(男が)逃げてしまう、なんとか捕まえたい」と強い結婚願望を臆面もなく、明るく語る。この日ではないが「金髪の可愛い選手と当たると、ぶん投げたくなるんです」とも語っている。暗に「もてない女の嫉妬」のように見せる賢さ。「キャスターというよりバラエティのほうが向いているのかな」とも話した。自己のインテリを否定して見せる。

 テレビに多く出演し、相手の求めるものを敏感に察しておどけて見せながらも、国民栄誉賞に恥じない振る舞いを求められる。マット外での様々なプレッシャーや経験が、彼女をより聡明にしてきた。中でも恩師と盟友が対立した形になった昨年の「パワハラ騒動」に、人一倍、周囲に気を遣う彼女が、悩まないはずはない。この半年ほど、自己の進退問題とともに、メディア対応などにも熟慮を重ねたのだろう。もちろん意図したわけではなく、伊調選手の周囲がある目論見から仕組んだのだが、ひょっとしたらあのパワハラ騒動は、「名伯楽」栄和人氏が吉田沙保里さんに与えた、最高の試練と教育だったのかもしれない。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

2019年1月14日掲載

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