大河「いだてん」で注目、当時の最年少職員が明かす東京五輪「国旗」秘話

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開幕10日前の“合格”

――デザインの確定に約3カ月。次に取り組んだのは、旗布の選択である。

 有力だったのはナイロン、ウール、そしてエクスラン(アクリル合成繊維)です。頭を悩ませたのは素材の優劣だけではありません。

 ある日、前触れもなく私の前に現れたのは、選手団長秘書だった「フジヤマのトビウオ」古橋廣之進さん。古橋さんは大同毛織(現・ダイドーリミテッド)にお勤めで、営業の名刺を出して“ウールを使ってくれ!”とおっしゃいます。それだけで学生服の私にはプレッシャーでしたが、数日後、今度は体操の小野喬さんも現れました。小野さんは前回のローマ五輪の金メダリストで、東京五輪では選手団の主将を務めた方。東洋レーヨン(現・東レ)勤務で、ナイロンを熱心に勧めたのです。しかも、私が同郷と知ると、故郷の秋田弁で口説きにくる。これには参りました。

 しかし、公平な審査をしないわけにはいきません。それぞれ2×3メートルの大きさでスペイン、グアテマラ、メキシコの旗を試作してもらい、15日間、耐用実験を行いました。結果は、ウールは強風で裾が破れ、ナイロンは雨で染めがにじみます。他方、東洋紡が開発したばかりのエクスランは実績があまりないものの、強度、染色、風合いともによく、これを採用しました。後年、小野さんとお会いした時には“いや、あの時は参ったよ”とぼやかれたものです。

――最大の難関はこの後だった。デザインと旗布が決まり、組織委は、各国国旗の試作品を作り始めた。これをそれぞれの国のオリンピック委員会に送り、“承認”を求めることになるのだが――。

 当時は、メールも何もありませんから、各国へ試作品を航空便で送って承認を求めました。直行便のある国でも1週間程度はかかった時代。返事が来るまでに1~2カ月はかかります。多くの国からは了解との返事をもらいましたが、中には「紋章をもっと大きくせよ」「青の色はもっと明るく」「同封の資料に依るように」といった注文が来たものもありました。

 異文化交流の難しさをこの時ほど実感したことはありません。例えば、インドの国旗はサフラン、白、緑の三色が用いられていますが、日本では馴染みが薄いため、「サフラン色」の微妙な色合いがわからない。OKが出るまで何回もやり取りをすることになりました。

 一番苦労をしたのは、アイルランドです。アイルランドの国旗は、緑、白、橙の三色からなる。この緑の色みにどうしても納得してもらえないのです。見本を送ると「もっと緑を淡く」と言うので、再度送ると、「もっとグレードを高く」。7回目になっても承認を得られません。残り1年、半年……と開会式は迫り、焦りが募る中、7回目の返信には「緑は私たちの誇り。それを忘れないでほしい」とありました。考えてみれば、アイルランドは実に森の美しい国。緑の深い国です。そこで、思い切って緑を手染めにしてみると、8回目にしてようやくOKが得られたのです。それが開会式のわずか10日前のこと。スレスレの“合格”でした。この逸話は再来年度から小学校「道徳」の教科書に掲載されます。

 当時は私も若かったし、焦りもありましたから、返事が来る度「いい加減にしろ!」と怒っていたものです。しかし、今考えれば、アイルランドはケルト人の国ですが、長らくイギリスの支配下にありました。彼らにとって、国旗の中で唯一ケルト民族を表しているのが、緑です。あの“こだわり”には、国旗に込められた民族の誇りや象徴性が端的に表れていたと思います。それに比べ、日本人は日の丸に果たしてそれほどの思いを感じているのでしょうか。甚だ心もとなく感じます。

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