「依存」することはそんなに悪いことですか? 高次脳機能障害ライターからお願いしたいこと

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この年始、「依存」という言葉について考えてみてほしい

 高次脳の症状を説明する家族向けのパンフレットなどには、大抵こんな文字が書き連ねられている。「子どもっぽくなる」「すぐ人に頼る」「ひとりでは何もしようとしない」「家族に代弁を求める」、そんな症状があったら、高次脳かもしれませんと。だがこんな書き方をされると、やっぱりどうにも印象が悪い。

 けれども当事者となって思うことは、周囲が困ることは、すなわち「当事者が困っていること」だということ。当事者が頼ってくるのは、あなたを信頼しているからで、ほんの少しの支えがあれば、やれなくなったことが再びやれると直感しているからなのだ。代弁を求めるのは、あなたにしか上手に自分の本音を話せないからだ。

 改めて問いたいが、依存的とは、そんなにも悪いことだろうか?

 高次脳でやれなくなることは、その他の脳の機能にトラブルがある状態と、大きく被ってくる。『脳が壊れた』、『されど愛しきお妻様』、『脳は回復する』と3冊の高次脳に関わる書籍を出して、様々な読者から、この「当たり前のことができなくなる」不自由について、共感の声が寄せられた。認知症、うつ、適応障害、PTSD、過労状態、産前産後等々……。この不自由は、高次脳に限らず多くの人が人生のどこかのステージで遭遇するイベントなのかもしれない。

 けれども、そんな不自由にちょっと添える手があるだけで不自由を抱えた人が救われるなら、依存的という言葉にこびり付いた悪いイメージを肯定的に解釈し直すことは、誰しもの生き易さを担保することだろうと思う。

 この年明けにかけ、老いた親や家族に邂逅したひとも多いと思う。以前には当たり前にやれたことが、どうにも上手にやれない。それはとても心細い体験だ。

 今年、願わくばこの記事を読んだあなたが、弱ってしまい依存的になってしまった誰かの手を進んで引いてあげられる、そんなひとりになってほしいと、切に願う。

鈴木大介(すずき・だいすけ)
子どもや女性、若者の貧困問題をテーマにした取材活動をし『最貧困女子』(幻冬社)などを代表作とするルポライターだったが、2015年に脳梗塞を発症して高次脳機能障害当事者に。その後は当事者としての自身を取材した闘病記『脳が壊れた』『脳は回復する』(いずれも新潮新書)や、夫婦での障害受容を描いた『されど愛しきお妻様』(講談社)などを出版する。

2019年1月13日掲載

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