“情報弱者”の方が良い「ボヘミアン・ラプソディ」の楽しまれ方(中川淳一郎)

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「情報強者」の方が「情報弱者」よりも上である、という文脈で語られがちですが、情弱の方が圧倒的に良いことがあります。それは映画「ボヘミアン・ラプソディ」をめぐってのことです。同作の主人公たるフレディ・マーキュリー及びクイーンについてまったく思い入れがなかった人ほど、純粋に作品を楽しんでいる印象を持ちました。知人男性はこう言います。

「すげー面白いって評判だったから行ってきたけど、本当に良かった! 映像もすごいし、何より音が大事だから劇場で見るのがいいよ! 次は『極上音響』の劇場で観る! クイーンのことは何も知らなかったけど、超いい映画! 知ってる曲はほとんどなかったけど、いい曲ばっかり!」

 一方、ツイッターを見ていると、1970年代のリアルタイムでクイーンのことが好きだった人の冷ややかな視線を感じます。当時は、レッド・ツェッペリンやローリング・ストーンズといったロックの本流の全盛期。少女漫画から飛び出してきたようなルックスのクイーンは正統派のロックバンドとは捉えられていなかった、と彼らは言います。そして「我々ファンはあの時虐げられていたのに、映画がブレイクすると『当時からワシは詳しかった』と言い出す『にわか』が登場するのがむかつく」と。

 これは、私の50代〜60代の知人も言っていることでした。「ワシは40年来のクイーンファンなのに、今回初めてクイーンを知った連中がしたり顔でクイーンを語りおって! けしからん!」と考えているようなのです。

 となると、彼らは映画で紡がれるエピソードも知っており、「にわか」な人々が「『ボヘミアン・ラプソディ』は約6分もあるからラジオでは流せない、とマスコミが冷淡だったんだってさ!」なんてことを言うと「それは昔から有名な話(ビシッ!)」などと言い放つ。彼らからすると、にわかファンが目をキラキラさせて薀蓄を語る様を見て憤りを感じるのでしょう。

 また、私のような1991年、フレディ・マーキュリー死後にファンになった「半にわか」もこれまた余計な知識があるせいか、同作を楽しめません。年上世代ほどではないものの、「ワシらの方が思い入れがある」というバカげた感情を抱くからです。

 あとは、劇場で他人と共に観たくないというのがあります。それは、2009年のマイケル・ジャクソンが主役の「THIS IS IT」の経験があるからです。周囲には涙する人が続出するとともに、終了時に「ブラボー」と叫び、立ち上がって拍手をする男が現れ、スタンディング・オベーションを促します。おいおい、演者がいるわけでもないのにやめろよ、と思ったのですが、クイーンの映画でも同様のことが発生しているようです。これがイヤです。あとは、「知識量マウンティング合戦」が繰り広げられるんですよね。オッサンが若い女性に豆知識をブツブツと囁く様が展開され、そいつと目が合うたびに「ワシの方がMJに詳しいぞ、ドヤ」と言われているような気がしてしまいました。

 いっそのこと、まったく知識がないレディー・ガガの自伝的映画でもさっさとできないかな、それだったら純粋に楽しめるのに……。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。

まんしゅうきつこ
1975(昭和50)年埼玉県生まれ。日本大学藝術学部卒。ブログ「まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど」で注目を浴び、漫画家、イラストレーターとして活躍。著書に『アル中ワンダーランド』(扶桑社)『ハルモヤさん』(新潮社)など。

週刊新潮 2019年1月3・10日号掲載

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