騒動から30年 手首を切った「中森明菜」が切っても切れない「男関係」
その傷は左腕の内側、手首よりも肘に近い位置にあった。長さ約8センチ、深さ約2センチ。死への決意を明確に物語る、深い傷である。すでにトップアイドルだった中森明菜(53)が自殺未遂騒動を引き起こしたのは1989年(平成元年)7月。この悲劇が当時、大いに世間の耳目を集めたのは当然の成り行きだった。何しろ、明菜が倒れていたのは、やはりトップアイドルだったマッチこと近藤真彦の自宅の浴室だったのだから……。
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2人が交際するようになったのは、自殺未遂騒動の数年前。その日もマッチの自宅では、明菜が待っているはずだった。が、仕事を終えた彼が自宅に電話しても誰も出ない。不審に思ったマッチが急行し、血の海になった浴室を目の当たりにすることになったのだ。無論マッチはすぐさま119番通報。明菜は慈恵医大病院に搬送された。
当時、明菜が所属していた芸能事務所「研音」の社長だった花見赫(あきら)氏が語る。
「病院にかけつけ、マスコミに漏れなければいいんだが、と思いながら社員に“マスコミ対応はどうする?”と聞くと、“もう出てます”と言う。病院のテレビでは早くも明菜の自殺未遂が報じられ、マスコミが集まってきていました」
花見氏は、医師から非公式に説明を受ける際、傷の写真を見せられたという。
「神経と血管が全部切れていて、とても深い傷でした。血管は1本ずつ縫って繋ぐが、神経の場合は1本ずつは無理なので、光ファイバーのように束のまま繋いで復元していく、大変な手術だったということを後で知りました」(同)
レコーディング中の異変
明菜の自殺未遂からほどなく、花見氏は麻布警察署で事情聴取を受けた際、マネージメントのやり方について厳しい叱責を受けた。それまで、明菜からはマネージメントについての不満を聞いたことがなかったので、何のことやらと首を傾げるしかなかったが、
「少し考えて、自殺未遂の本当の原因はマッチとの関係がうまくいかないことだったんだろうけど、それを言うとマッチに迷惑がかかるから、事務所のマネージメントのせいにしたんだと合点がいきました」(同)
82年のデビューから数年間、ワーナー・パイオニアのディレクターとして明菜を担当した島田雄三氏は、
「明菜は一本気な性格だから、近藤くんに対しても一直線に思いつめてしまったのでしょう。デビューからしばらくした頃、あれほど好きだと言っていたレコーディングの最中にチラッと時計を見たりして、集中出来ていない様子が見られた。最初は理由が分からなかったのですが、色々と周りの話を聞いて、近藤くんが原因だと分かりました」
として、こう語る。
「誰と付き合っているのか、といったことは普段聞いても教えてもらえないから、ハワイの海岸で寝っころがってリラックスしている時なんかに聞くんです。その作戦で、2人くらい教えてもらったんだけど、マッチについては絶対に言わなかったね。それだけ大事な存在だったんでしょう」
マッチと離れた後も、明菜の側には常に、彼女を支える男の存在がある。再び表舞台に戻る時、彼女はどんな男に支えられているのだろうか。