「9・11」を生き延びた日本人たち「あれ以来腹が据わりました」

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 米国ニューヨークのシンボルだったワールドトレードセンター(WTC)に激突する2機のジェット機。この光景を世界中の人々が目撃した。2001年(平成13年)9月11日に起きた同時多発テロ事件は、一瞬にして3千人近くの命を奪っている。この未曾有の事件に遭遇した日本人たちはいかにして生き延びたのか。

 当時、WTCには多くの日本企業がオフィスを構えていた。北棟45階には商品先物取引会社の現地法人事務所があり、責任者だった久場(くば)健太郎氏(45)はいつものように午前7時半に出社していた。久場氏によれば、

「午前8時45分ごろ、ドカーンと音がしてビルが大きく揺れました。同時に、24時間マーケット情報チャンネルの映像が大きく乱れて、数秒後には映像自体が切れてしまったのです」

 また、久場氏と同じ会社の社員であり、研修で米国を訪れていた大塚貴志氏(51)は、

「あの日は初出社で、大きな揺れがあったのは日本人スタッフとの打ち合わせ中。“ニューヨークには、地震はないと聞いていたのに”と思いながらも、咄嗟に机の下に身を隠しました。揺れが収まり窓の外を見ると、鉄筋や書類が落下しているので、“ただ事ではない”と感じました。実は、あの日に同僚と屋上の展望台へ行く計画がありました。結局、私が“出勤初日だから止めよう”といって行かなかった。もし行っていたら、助からなかったでしょう」

 さらに、2人の同僚だった尾崎文紀氏(47)は、出張業務のため久場氏らと同じフロアにいた。

「避難することになり、非常階段へ行くと大勢の人で大渋滞。最初は笑ったり、冗談を言っている人もいました。が、上層階から怪我人が運ばれるのを見て、私も初めて深刻な事態が起きていると知りました」

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