「元政治家」監督が「ブラックユーモア」で描き出すジョージアの「今」

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ソ連時代より評価の高いジョージア(グルジア)映画界を代表するベテラン監督であるエルダル・シェンゲライア(ソ連期からの表記はシェンゲラーヤ。同じく映画監督である弟のギオルギ・シェンゲライアと区別するため、本稿では以下、適宜「兄シェンゲライア」とも記す)の新作『葡萄畑に帰ろう』が公開されている。

1983年に撮影された『青い山 本当らしくない本当の話』はもう30年近く、筆者にとってジョージアという国を理解する上でもっとも重要な作品の1つであり続ける。さらに、後でその経歴でも触れるように兄シェンゲライアはソ連末期から政界で活躍し、国会副議長を長年勤め、実に新作映画は約20年ぶりという。一見単純に見えて、実は非常に難解という、いかにも兄シェンゲライアらしい作品であり、また様々な問題を孕んだ問題作のようにも見える。背景が非常に複雑でありながら、ほとんど日本語で説明されていない点も映画鑑賞を難しくしている。

そこで本稿では、パンフレットにも詳しい監督の経歴は抑え目にして、いくつかの前提についてしっかり触れてみたい。以下に述べるように、兄シェンゲライアの作品は諷刺と含蓄に富むので、雰囲気が気に入れば本稿で触れるディーテールや「読み」も踏まえてご覧いただければ幸いである。

「愛国・保守」からの変貌

最初に、ジョージアについてもごく簡単に説明が必要だろう。筆者が初めて長期滞在したのは24年前の1995年秋。夜間外出禁止令が解かれて間もなく、道を行き交う車には銃弾の後が生々しかった。古来よりジョージアを襲った強力な外敵には、ペルシア、ローマ、アラブ、モンゴルなどなど枚挙にいとまがない。こうしたユーラシア中央部の厳しい地政学的な位置により、ジョージア人は強い愛国心と自身の伝統に愛着を持つ極めて愛国的かつ保守的な価値観を育んできた。

筆者は今でもよく覚えているが、1995年当時、筆者のジョージア・グルジア語の教師は、筆者がトビリシ在住のほぼ唯一の東洋人であるので昨日どこを歩いていたかは皆知っていると話し、たとえとして黒人がトビリシに何人いて、どこでいつ何をしているのか、市民は皆常識のように知っていると自慢げに話をしていた。現在ではそれこそ人種ハラスメントに受け取られかねないが、それくらい自他の区別にこだわるある意味狭い社会であった。一見非常にスマートで開明的に見える映画の主人公だが、娘が黒人のボーイフレンドを連れてくると激昂する場面も、その世代には当たり前のリアクションである。

一方、ソ連崩壊後は古来のユーラシアの十字路としての一面がふたたび浮上している。それはすなわち急激な国際化~多民族化であり、かつてトビリシを訪れたマルコ・ポーロを彷彿とさせる西欧人をはじめ、街はロシア語に加えてアラビア語やペルシア語が行き交うようになり、さらには近年のグローバル化の結果として、様々な国籍・人種が入り交わる空間に変貌しつつある。そして、ソ連崩壊後に育った若者たちは出稼ぎに出た親戚を通して(旧東欧ソ連諸国の例として、ジョージアもある世代は皆働き口を求めて海外に出ていった)、あるいはインターネットなどを通して、より一体化する地球を体感している。非常に大まかに言えば、ソ連崩壊後の混乱の中、保守的な価値観を維持して必死に生き抜いてきた父(大臣)世代と、黒人ボーイフレンドと新しい家庭を築いていく娘との世代間ギャップ、それを包み込む田舎の祖母を母なる大地にたとえてジョージアの現在を独自のユーモアで包んだ作品と言えようか。

伝統的な価値観

映画には細かい設定や説明必要な箇所が非常に多い。そもそも登場人物についても説明が必要である。

使用人のアルメンは、その名の通りアルメニア人であり、ロシア語のわかる方はお気づきになったと思うが、ロシア語とジョージア語のちゃんぽんで話している。ジョージア人の有力家系では、使用人にはお金にきちんとしていて勤勉かつ手先の器用なトビリシ下町に住むアルメニア人を雇う場合が多い。すっかりジョージア化しているアルメニア人もいるが、話すときはもっぱらロシア語というアルメニア人も少なくない。ジョージア語に堪能だが、最初にロシア語が口につく(という程度にジョージア化している)アルメニア人としてのアルメン、ジョージア人なら一瞬でこうした背景はわかる。

また、レナというその妻はユダヤ系の可能性がある。いわば少数派同士の婚姻は少なくないし、主人が落ち目になった時の見限り方も腑に落ちなくもない。ただし、繰り返すがこれは「古き(人/世代によっては良き)ジョージア社会」であり、兄シェンゲライアは特定の価値観は込めないで、あくまでアイロニーとして描いているのであろう。「人種」や「民族」に基づいた人物表象も日本ではなじみが薄いかもしれないが、この地域では社会通念としてすり込まれているものである(そして21世紀には薄まりつつあるし、禁忌ともなってきているであろう)。

他にも、たとえば主人公が幼い息子に見せている映画は白黒で、まずはジョージア人のヨシフ・スターリンがソ連の最高指導者に君臨していた第2次世界大戦中に撮影された愛国映画『ギオルギ・サアカゼ』(この作品については拙著『多様性と可能性のコーカサス』北海道大学出版会、2008年でも触れた)、ついで19世紀後半の多民族で東洋西洋の混ざり合う極めてカラフルなトビリシ社会を描いた傑作ミュージカル『ケトとコテ』の2本がうつっている。これは全てのジョージア人がすぐにわかる2作品で、メッセージも複雑であれば受け止め方も百人百様としても、とりあえずは主人公が極めて伝統的な価値観を(繰り返すが立場と風貌とは大きく異なり)持っていることが一見してよくわかる(そして上記2作品のベクトルそのものが一方向ではないのだ)。

政治家としての顔も

映画のもう1つの隠れた見所は、政治家としてのシェンゲライアの顔もまたよく見える点である。ここではあまり詳しく述べることは出来ないが、エドゥアルド・シェワルナゼ(元ソ連外相、ジョージア第2代大統領)に非常に近かったシェンゲライアは、バラ革命(2003年)の頃はミヘイル・サアカシュヴィリ(第3代大統領)の兄貴分として新世代政治家の代表格だったズラブ・ジュヴァニア首相の後見人のような立場にあったように記憶している。

ジュヴァニアの突然かつ謎の死(2005年)以降、表舞台を退いたが、この映画冒頭には、サアカシュヴィリを追放して現在ジョージア政界の大立て者である大富豪ビジナ・イヴァニシュヴィリが設立した、カルトゥ財団の支援で映画が撮影されたことが明記される。パンフレットには「ジョージアの夢」とイヴァニシュヴィリ率いる現政権与党(反サアカシュヴィリ派)にちなむフレーズでしめられた一文が見えるが、とりあえずはシェンゲライア自身が堂々とこの映画のスポンサーを冒頭で明かしているわけである。

ただし、もともとはサアカシュヴィリ政権自体、イヴァニシュヴィリの資金を多用していたし、文化人の多くがイヴァニシュヴィリの後援で生活してきたことも常識であるから、現実的かつすでに大御所として高所からジョージアを見つめるシェンゲライアは、自身の政治的立場を込めたと捉えるべきではおそらくないだろう(これも受け取り方は多様であり、アイロニーに行き着くのだろう)。

また、やはり冒頭には「友人たちに捧ぐ」と出てくるが、今は亡きシェワルナゼとジュヴァニアを想起したのは筆者だけではないだろう。もっとも上記コミカルな政治家群像を見れば、実在した政治家を思い起こすことが適切とも言えない。それでも、自身の政治経験が込められている(と少なくとも見られることを意識している)のは明らかで、著名な映画人一家に生まれて政治の世界でも実際に要職を歴任したシェンゲライアだから許されるブラックユーモアの世界がよく見える。そして、何よりも、主人公に忠実な映画の主人公たる肘掛け椅子の精(?)がいかにもアメリカの比喩に見えるが、当然全て計算尽くとして見せているわけで、無論筆者の読みも浅いかもしれず、こうした点こそ監督自身にインタビューして欲しい点であった。

また筆者の感想を正直に記せば、ジョージアの若者はすでに「古い観念を乗り越える、克服する」などというレベルを超えているように思う。黒人の婿殿が未来の妻をしかりつけた父親に対して「アル・ウンダ・ゲタクヴァ、バトノ・ギオルギ!」(それはいっちゃいけないよ、ギオルギさん!)と非常に流ちょうかつらしいジョージア語でしゃべると、おそらく筆者くらい(40代)までのジョージア人は自然に吹き出してしまう。しかし、若い世代でこれをあからさまに笑う場合は、そこにはある種の悪意を感じ取るようにも思える。筆者自身、この数年はタクシーに乗ってジョージア語で話をしても誰にも驚かれなくなった(以前はものすごく驚かれ、喜ばれ、そのまま代金を受け取ってくれなかったこともしばしばだった)。それくらい現地で国際化は急速である。つまりは「笑えない」のである。これもあくまで筆者個人の感想であるが、この辺の感覚を兄シェンゲライアにも是非尋ねてみたいものである。いずれにせよ、ジョージア語のフレーズも、シチュエーションも説明がなければ日本人にはほとんど理解できないであろう。

総じて、ソ連という「圧制者」であるが「防御壁」でもあった巨大政体から別れて、ユーラシア大陸の交差点としてのユニークだが難しい場所に復帰したジョージアの今を、それこそきれいに写し取った映画と言えるだろう。そこにまさに皮肉屋/エリートとしてのシェンゲライア監督の悲哀を筆者は感じなくもないし、単純な郷土賛歌と読みとるのではなく、百戦錬磨の映画人・政治家が目撃してきた喜びと苦悩とあきらめと安らぎの連続と、究極的にはその大地に癒やされ続けるジョージアの歴史をそこにみることができると言えるだろうか。

多様な歴史と魅力を伝えて

なお、原題は『サヴァルゼリ』、これはchairと記されているが、正確にはarmed chair=肘掛け椅子である。肘掛け椅子か、大臣の椅子という形でタイトルを訳して、『青い山』のように副題を工夫することも一興だったように思われる。ジョージアはたしかに夢のように美しい国であるが、10年前にロシアと交戦した国でもあり、そうした現実も全て包み込む点にこそシェンゲライア映画の真骨頂がある。

ただし、真に深刻な「難民問題」については、その役所の大臣がいかにも軽いポスト(もっとも最後は首相にまでなってしまうが――しかもいかにもソ連時代以来のそつない官僚のような人物)という描き方は、役所のネーミングも含めていささか投げやりに見えなくもない。たしかに南オセチア問題の悪化はシェンゲライアが距離を置いたサアカシュヴィリ政権下でおこったことである。それでも、ズヴィアド・ガムサフルディアの時代からジョージア政界の中枢にいたシェンゲライアは意味を込めたのか、込めなかったのか気になる点でもある。

最後に宗教色の薄い点も興味深い。風貌そのままに知的でかつ眼鏡の奥が常に光っているような兄シェンゲライアは常に冷徹であり、ロマンチストで純粋・ジョージアの今に逆行してロシアとの精神的連帯を訴えたりする弟シェンゲライアや、混乱期にいち早くフランスに渡ったどこまでも理知的なオタル・イオセリアニ(オタール・イオセリアーニ)とあわせて、現在のジョージア映画界長老3巨匠と言えるだろう。その点では、三者三様の映画人生そのものがジョージアの多彩な歴史と多様な魅力を伝えているのである。

なお、この映画を踏まえた筆者の講演会が近日予定されている。ご興味のある方はぜひ。詳細はこちらから。【文化講座×映画×ワイン「もっと知りたいジョージア!」】

前田弘毅
首都大学東京人文社会学部教授。1971年、東京生まれ。東京大学文学部東洋史学科卒業、同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了、博士(文学)。大学院在籍中にグルジア科学アカデミー東洋学研究所に留学。北海道大学講師・客員准教授、大阪大学特任助教・招へい准教授、首都大学東京都市教養学部准教授などを経て、2018年より現職。著書に『多様性と可能性のコーカサス』(編著、北海道大学出版会)、『ユーラシア世界1』(共著、東京大学出版会)、『黒海の歴史』(監訳)『コーカサスを知るための60章』(編著)『イスラーム世界の奴隷軍人とその実像』(ともに明石書店)、『グルジア現代史』(東洋書店)など。ブログはこちら【https://www.hmaeda-tmu.com/】。

Foresight 2019年1月8日掲載

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