「山一證券」破綻 公開されなかった“最終報告書”に消えた戦犯
東京湾にほど近い8階建てのビル、そこには、かつて山一證券の「ギョウカン(業務監理本部)」という組織が置かれていた。社内ではエリート部署ではなかったが、ある日を境に重要な役割を担うことになる。会社を破綻に追い込んだ原因を追及し、不正に関わった幹部もすべて調べ上げるという仕事だ。だが、その「最終報告書」が日の目を見ることはなかった。
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「社員は悪くありませんから!」
野澤正平社長が涙の会見を開いたのは、1997年(平成9年)11月のこと。2600億円もの簿外債務が発覚した山一が、この日、自主廃業に追い込まれたのだ。7700人の社員は散りぢりになり、残された者も「後始末」に奔走した。
ギョウカンを母体に作られた「山一清算業務センター」の長を務めた菊野晋次氏(80)が振り返る。
「会社が潰れてもお客さんから預かっていた24兆円の資産はきちんと返済されなければなりません。当時、全国の支店が閉鎖されたのですが、それぞれの店の資産を私たちが引き継いで、一件一件、返していったのです」
気の遠くなるような清算業務が進められる一方で、もうひとつのチームが立ち上がる。破綻の原因を調べる「社内調査委員会」だ。
調査メンバーだった国広正弁護士が言う。
「まず、ファクトが大事ですから、何が行われたのか社内調査報告書を作成したのです。元会長の横田良男氏や、行平次雄氏、三木淳夫元社長らの関与も名指しで書いてあるため、会社側は抵抗しましたが、押し切って公表したのです」
そこには損失隠しのスキームを描いた“飛ばしマップ”や、どうやって債務をペーパー会社へ移したかなども詳細に記されている。
「ファクトが分かれば、次は誰にどんな法的責任を取らせるべきか、はっきりさせなければならない。そこで『法的責任判定委員会』を立ち上げ、さらなる調査を始めたのです」(同)
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