ファーウェイ問題から考える通信の「歴史認識」

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通信の「歴史認識」と「現状認識」

 100年前と150年前の2人の外交官に、われわれは何を見なければならないのだろうか。アメリカ相手に一歩も譲らなかった幣原喜重郎、資金も技術もないにもかかわらず、独自開発を目指して「通信主権」を守った寺島宗則。いずれもが今のように通信が発達していなかった時代の出来事である。この後の太平洋戦争で、日本が通信面でも大敗北したことは、先の記事〈危機意識の欠落が生んだ日米情報戦の敗北――「情報と通信」で読み解く太平洋戦争〉に示した通りだが、こうした通信の「成功」と「失敗」の経験から、われわれが学ぶべきことが「取った/取られた」の単なる陣取り合戦でないことは明らかであろう。

 国家として守るべきはなにか――通信は、いまや戦前までのように、一部の外交官やビジネスマンだけのものではなく、あらゆる人々が通信を利用する時代である。アメリカと中国の覇権争いを、ただ傍観者として流れに身を任せていいとはいえない。

 通信摩擦といえば、10年前までは日米間のものであった。半導体も日本がリードしていた。1990年代、外国の通信会社が日本市場進出を図ったが、思うような成果をあげられず撤退したことも記憶に新しい。現在日本の通信の国内市場は、日本企業3社、NTT、KDDI、ソフトバンクの寡占状態にあり、国内だけを見れば日本の通信会社と外国の通信会社の勝負は日本の完勝に終わったようにみえる。だが、今日本で多く使われている携帯端末はアップルやグーグルであり、パソコンの基本ソフトはマイクロソフトとアップルである。さらに言えば、用いるアプリケーションはAmazonやFacebook、Twitter。インターネット全盛の時代にあっては、伝送路を支配していれば通信の秘密を守れるということはないのである。利用する端末やソフトウェア全てに気を配る必要がある。

 米中通信摩擦は、安全保障上の問題に加え、技術競争でもある。アメリカは安全保障上の問題を指摘して、中国企業の排除を目指しているが、実際中国発と思われるサイバー攻撃を受けていることもあり、それなりの説得力を持っていることは確かだ。ただ、残念なことに両国の技術競争間に日本企業は埋もれてしまっているようにみえる。果たして日本の技術力はこの局面を打開できるのだろうか? “ガラパゴス”と自嘲しているような事態ではない。それは安全保障の問題にもかかわっているのである。今回の件は、日本の通信産業が空洞化しつつあることを示していると捉えるべきだろう。そして「この先どうなるか」――その結果もまた歴史が示唆していることだ。

デイリー新潮編集部

2019年1月7日掲載

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