34年前「坂本弁護士」家の鍵はなぜ開いていたのか オウム真理教暴走の原点

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ピッキングの痕は…

 このストーリーは、後の裁判でも認定されている。

 ところが、

「未だ疑問として残るのは、なぜ鍵が開いていたのか、ということです」

 とは、ベテラン記者。

「当時、坂本弁護士はオウムから激しい抗議を受け、身の周りを警戒していた。“鍵を二つつけよう”と言っていたほどで、その彼にしては不用心過ぎるのです」

 坂本弁護士の妻・都子(さとこ)さんの父、つまり弁護士の義父に当たる大山友之さんも著書の中で、同じ疑義を呈している。

〈都子は鍵の掛け忘れをするような人間でないことは私の体験からしても断言できます〉

〈(娘の家を訪れると)ドアチェーンを外し、ロックを解除し、開扉するといったパターンは毎回変わりがありませんでした〉

〈(娘の家から出ようとしても)ドアチェーンが掛けてあり、外すにはちょっとしたテクニックが必要な構造になっている〉

 要は、常日頃、マメにロックする習慣が付いていた、というのである。

 その上で、岡崎の「鍵が開いていた」との証言も、

〈(岡崎は)あらゆる刑事裁判の場で、鍵の確認は夜十時頃と十二時頃の二回に亘って行っていると証言してきています〉

〈にもかかわらず、私が提訴した、民事訴訟の場に証人出廷した岡崎は、「鍵の確認に行ったのは、一回だけだった」と述べたのです〉

 と、矛盾を指摘する。

 他方、

「我々事務所は、事件直後、業者さんに頼んで、鍵を調べてもらいました」

 とは、先の小島弁護士。

「しかし、ピッキングの痕はありませんでした。実行犯の供述にも不自然なところはないので、『鍵は開いていた』と認定されたのでしょう。本当にわずかな確率で鍵を閉め忘れてしまった。その時にやはりわずかな確率で犯行がなされてしまった、ということではないでしょうか。痛恨の極みですが……」

 同じく当時同僚だった武井共夫弁護士も、

「こじ開けられた形跡もなかった。やはり開いていた、ということなのでしょう」

 いずれにせよ、当の岡崎も刑場の露と消えた今、真相は薮の中、としか言いようがない。

 ***

 実行犯6人のうち、のちに刺殺された村井秀夫を除く5人は全員死刑判決を受け、すでにこの世にはいない。

 事件発生直後からオウム真理教の関与を疑う声はあった。しかし宗教団体が相手であることに加え、教団側のPRや文化人らの支援も奏功したか、真相が判明したのは地下鉄サリン事件発生後のことであった。

デイリー新潮編集部

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