「私に見破れぬ擬態などない!!」 枯葉や木の枝そっくりな「冬の虫」を探す方法
無駄なことのために無意味な時間?
思い立ったが吉日と、12月のある日に私はそこへ行った。真冬のここはとにかく寒い。朝行っても昼行っても常に薄暗く、そこにいるだけで陰鬱な気分になってくる。その陰鬱の森に分け入り、倒れた丸太や枯れた下草に足を取られそうになりつつも、私は膝下くらいまでの高さの貧弱な雑木の幼木を、丹念に見て回ることにした。ここに生えている雑木は、みな発育が悪く枝が細い。そう、それらの小枝は、まるで越冬中のホソミオツネントンボと、色も太さも長さも同じなのだ。視界一面、足元にそれが広がって生えているのだから、探す前から気分がくじけるというもの。1本1本、丹念に見ていくしかない。しかし、あくまでもこの場所にいるかもしれないというのは私の推測に過ぎず、本当にここにいるのかどうかはわからない。もしここにいないのであれば、今から私は壮大に無駄なことのために無意味な時間を過ごすわけだ。慣れない環境で未知の虫を探す時は、いつもこうした思いと戦いながらやらねばならないのである。
暗く冷たく、生物の気配が一切ないスギ林を、身をかがめつつ右往左往し始めて1時間くらい経っただろうか。と、ある雑木の幼木の脇を通り過ぎようとした時。何となく、その枝のうち1本が不自然に動いたように見えた。一瞬、何かの見間違えかとも思ったが、よくよく見たら、その動いたように見えた枝にはなんと翅が生えていた。私の読みは見事に当たった。まさに越冬中のホソミオツネントンボが、そこに止まっていたのである。これを見つけたときは、心底嬉しかった。それ見たことか! こういう、フィールドにおいて自分の予想がまんまと当たった時の喜びと、まんまと外れた時の驚きというのは、何物にも代えがたいものである。
私はトンボをじっくり観察してみた。奴は枝をしっかりと脚で掴んだまま、その場から一歩も動かなかった。一見、生命の覇気が全く感じられず、死んでいるようにも見えた。しかし、こちらが顔を近づけると、トンボはその場から逃げない代わりに体を僅かに斜めに傾けて見せた。敵が寄ってきた時、彼らはこのように相手側から見た時に少しでも自分がトンボの姿に見えないような角度に体を倒すのだ。さっき、発見時に動いたように見えたのはこのせいだった。そして何より、透き通ったその瞳の美しさが、まだこの生き物が生命の火を灯しつづけていることを雄弁に物語っていた。
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