徴用工判決は文在寅政権のせいだけではない ガラパゴス化する韓国司法の深過ぎる闇
国民情緒法のさらに上に
韓国では、法の上に「国民情緒法」があると揶揄され、司法判断は、その時代の国民世論や政権の意向に左右されやすいと度々指摘されてきた。ただ、徴用工問題についていえば、慰安婦問題と違い、国民の強い関心事ではなかった。政権の意向を忖度するのであれば、最高裁が李明博政権時代に原告の主張を認める判断を出すはずがない。今回の確定判決も文政権を利する結果とはいえず、困らせてさえいる。
今回の判決の骨格は「日本の不法な植民地支配や侵略戦争に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の慰謝料請求権は協定の対象に含まれない」との主張だ。当時の韓国支配や侵略戦争はそもそも「不法」で「正義に反する」のだからと、それに伴う労働力の動員を「不法で悪だ」とバッサリ切り捨てる態度だ。
韓国で暮らしていて実感するのは、国民情緒法などという曖昧模糊とした空気ではなく、事ある度に人々がこの「正邪」や「白黒」を付けようとする姿勢だ。交通事故での喧嘩や毎日のように行われるデモからしてそうで、「積弊清算」という名の文政権による徹底した朴前政権たたきが顕著な例だ。歴史をわざわざ「正しい歴史」と銘打ち、政党も「正しい未来党」や「正義党」を名乗る。国民挙げて「正しい」という言葉の信者のようだ。
司法もそこから自由とはいえず、経験則や妥協、国際的な約束ごとを吹っ飛ばして「正」か「悪」をはっきりさせ、一気に理想とみなすことを実現しようとする。端的に表れたのが、日本の朝鮮半島支配を「悪」と決めつけ、それに沿う判断を示した今回の最高裁判決だ。
この正邪を問いたがる傾向は、朝鮮王朝時代の朱子学の影響だと分析する専門家もいる。いずれにせよ、日本から近代的な法体系を取り入れたものの、日本統治を通じた近代化を評価せず、王朝時代の前近代的イデオロギー判断から抜け出せなかったために、司法の世界も国際基準からかけ離れた韓国独特の“ガラパゴス化”が生じた可能性がある。
文政権やメディア、国民が、李・朴旧保守政権を水に落ちた犬のように徹底して糾弾しているのを目の当たりにすると、日本統治時代も現代の韓国から「悪」と決めつけられた歴史上の“前政権”の一つだったからこそ、今までこうも日本がたたかれ続けてきたのかと合点がいくこともある。
徴用工判決をはじめとした今の「反日」的動きを文政権による一過性のものと考えれば、事態を見誤りかねない。韓国社会が正邪に固執する前近代的思考から解放されない限り、忘れたころに日本たたきは再燃するだろう。裏返せば、韓国が反日を卒業しない限り、文氏が目標に掲げる「国らしい国」の実現もないと断言できそうだ。
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