42歳で夫を亡くした私が自分を「没イチ」と言う理由

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 配偶者を亡くした人をさす言葉、「没イチ」。「没イチ男性が死別再婚するときの注意点」を報じるネットニュースで名前を持ち出された市川海老蔵さんは、「私は嫌い」と題したブログで「没イチ?! 最低な言葉」とつづった。

 離婚歴のある人を「バツイチ」というのであれば、配偶者と死別した人は「没イチ」――かねてからその言葉を用いたのは、第一生命経済研究所主席研究員・小谷みどりさん。死生学を元に終活やお墓についても調査・研究をしている専門家だが、思いつきやトレンドで「没イチ」を提唱しているわけではない。
 小谷さん自身が、42歳の働き盛りだった夫を、突然死で亡くした「没イチ」なのだ。

「7年前、私自身が夫を亡くし、はじめて、『配偶者と死別した人は、その後、一人でどう生きていくか』という大きな問題をないがしろにしていたことに気づいたのです」
「配偶者と死別した人への世間の哀れみの視点も、私にはとてもひっかかりました。すべての夫婦は、必ずどちらかが先に亡くなり、どちらかが残されるのに、死別は自分には関係ないかのように、『かわいそうに』『さびしいでしょ』と声をかけられることに違和感を覚えました」
 著書『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』の中で、小谷さんはそう語る。

 講師を務めるシニア向け大学の生徒さんたちと「没イチ会」を結成したのは2015年。会のテーマは「死んだ配偶者の分も、2倍人生を楽しむ使命を帯びた人の会」。会員は現在10数名ほどだ。全員が最愛の配偶者を亡くし、悲しみ、孤独、喪失感、不安、無気力感などあらゆる感情を十二分に経験し尽くし、「このままではいけない」と次の一歩を踏み出し始めた人たちだ。
 会自体は堅苦しいものではなく、定期的に集まって会費制で開く飲み会がメイン。ただし、そこで盛り上がるのは「配偶者の遺品はいつから片づける心境になったか」「仏壇のお供えは毎日どうしているか」「新しいパートナーをみつけたいか」「亡くなった配偶者は夢に出るか」……「没イチ」同士でないと共有できない話題を出せることに、この会の意義がある。

 死へのタブー視から、夫・妻を亡くした人への儀礼的な同情、哀れみを「良識」とする風潮に小谷さんは疑問を感じている。
誰だって没イチになるのに、腫れ物に触るように扱われたり、後の人生は当然悲しみにくれたまま過ごすのだろうと決めつけられたり……だから小谷さんは、そうしたイメージとセットになっている、昔からあった「未亡人」という言葉が嫌いだという。

「没イチ」が立ち直るのに必要なのは、なにも再婚だけではない。残された自分が亡き人の分まで人生を無駄にせず楽しく生きよう――そんな気持ちが大切と小谷さんは考える。配偶者と死別しても残された人は生きねばならない。それなら最愛の人を亡くした経験を臆さず没イチと掲げ、哀しみを踏みしめてできるだけ前を向いて歩いていこう……「没イチ」には、彼らと同じ境遇の人たちへの応援が込められていた。

デイリー新潮編集部

2018年12月28日掲載

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