「田中角栄」生誕100年 機密文書が明かす「エスタブリッシュメントvs.成り上がり」の死闘

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「田中は初等教育しか受けていません」

 ドラマはまず、46年前の東京から始まる。1972年6月9日の夜、羽田空港に到着した米政府専用機から一人の男が降り立った。彼の名はヘンリー・キッシンジャー、ニクソン大統領の安全保障問題担当補佐官で、密使として世界を回り、米外交を一手に担う人物である。

 翌日の午後7時過ぎ、キッシンジャーは永田町の総理公邸を訪れて佐藤栄作総理と夕食を共にした。この席で2人の話題はベトナム戦争から中国問題と多岐に亘ったが、中でも重点が置かれたのが「ポスト佐藤」の行方だった。

 すでに8年目を迎えた政権は最大の政治課題の沖縄返還を花道に退陣すると見られ、その後継を巡って、田中と福田赳夫が「角福戦争」と呼ばれる熾烈な戦いを続けていた。

 この4時間に及ぶ夕食会の通訳を務めたのは日系2世の駐日米国大使館員で、日本の外務官僚は同席していない。角栄ファイルの一つ、ホワイトハウス文書からその一端を繙こう。

佐藤「沖縄返還でクライマックスを迎えたので10月までに退陣するつもりです。新聞は新しい風が必要などと書いてますが、共産党や社会党に政権が移るわけじゃありません。次期総理も自民党から出ますよ。候補者は福田外相と田中通産相で、党内の支持は違いますが一高から東京大学を出た福田の方が本流です。大蔵大臣もやったエリートと目され、それに対して学歴のない田中は初等教育しか受けていません。元気であるのを除けば特定の行動指針もない」(中略)

キッシンジャー「ここだけの話ですが、あなたは福田が総理になるのがベストだと?」

佐藤「その通りです」

キッシンジャー「あなたの票読みを教えて下さい」

佐藤「福田が総裁選に勝てるかは、政府と党での私の支持次第です。(後任者は)国際的に受け入れられる人物でなければいけないが、その点、福田は申し分ありません。適任者ですよ」

 当時、田中はまだ自前の派閥を持っておらず、所属はあくまで佐藤派だった。ところが、その親分の佐藤はキッシンジャーに露骨なまでの福田贔屓(びいき)を打ち明けていた。その口ぶりからは東大と大蔵省を経て政界入りしたエリート福田に対し、小学校卒でしかない田中への侮蔑すら伝わる。

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