小学校「卒業式の袴」問題で賛否両論 格差助長で反対? 伝統尊重で何が悪い?
東松島市や足利市の議会でも論争
仙台市に本社を置くブロック紙・河北新報は12月12日(電子版)、「卒業式『華美過ぎる』東松島市長が小学生のはかま疑問視 服装で優劣が出ないよう」の記事を掲載した。
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この記事はYAHOO!ニュースのトピックスに選ばれたこともあり、特にネット上で大きな論争が起きた。まずは記事のポイントを箇条書きにさせていただく。
◆宮城県東松島市の渥美巌市長は12月11日、市議会12月定例会の一般質問で「小学校の卒業式は華美になり過ぎている」と答弁した。
◆市内では9割の女子生徒が袴を着用した小学校もあった。市長は「袴を着られない児童が劣等感を感じ、卒業式を心から喜べていないと危惧している。経済的な事情で着られない女の子の心情はどうか」と訴えた。
◆東松島市は東日本大震災の津波で大規模な被害を受けた。震災の影響などで、市内の小学生の約4割が給食費や学用品費などの就学援助を受けている。
◆宮城県内の貸衣装店によると、着物と袴のレンタル料金は3万~3万5000円が相場。着付けと髪のセットは美容院によって異なるが、1万円前後。
ちなみに記事の末尾には、東松島市内のある小学校が保護者に対してアンケート調査を実施、袴を「着用させたい」は20.4%、「着用させたくない」は39.8%に達したことが紹介されている。
河北新報の記事をチェックした、ニュース部門の男性デスクが言う。
「TwitterやYAHOO!ニュースのコメント欄では多数の意見が表明され、国民的議論が起きている印象を受けました。実は今年の12月12日に、栃木県の足利市議会でも袴を問題視する議論が行われ、こちらもそれなりの反響がありました。それに東松島市という被災地の報道が追加された格好になり、一気にネット上の意見表明が増えたのだと思います」
ネット上では、袴に否定的な見解が多いようだ。それにしても、小学校6年生の女子児童が卒業式に袴を着用するようになったのは、いつ頃からなのだろうか?
早速、新聞記事検索のデータベースに「小学校 袴 卒業式」と入力してみた。すると、現在に至る“歴史”を明かしてくれる興味深い記事がヒットした。まずは、こちらから先にご紹介したい。
福井新聞は2009年3月、「100年すべての卒業写真掲載 越前市国高小 記念誌が完成 羽織はかま、かわらぶき校舎… 時代の移り変わり一目で」の記事を掲載した。見出しにある「国高小学校」が、1909(明治42)年から2009(平成21)年まで、卒業式の写真などを集めて記念誌を作成したのだ。文中に、以下の記述がある。
〈第一回から大正時代までは、ほとんどの児童は羽織はかまや着物姿。昭和に入って学生服を着る男子が交じり、続いて女子にもセーラー服姿が見られるなど時代の変遷が一目で分かる〉
袴と言っても、明治・大正期は男子児童が「羽織袴」を着用していたのだ。また、河北新報の記事を読みながら、「うちの小学校では中学校の制服を着てたぞ」と思い出された方もいただろう。その伝統は福井県の場合、昭和初期まで遡れるようだ。
更に「いや、特に男子児童は、いつもと同じ服装だった」という証言もある。
「私は福岡市に昭和46年、1971年に生まれました。小学校の入学式は、子ども用のスーツみたいなものを着せられていた写真が残っています。しかし卒業式の方を見てみると、特に男子児童はジャージとか、普通のシャツに半ズボンなどを穿いているのが分かります。女子児童も、フォーマルな格好をしているのは、ごく一部です」(男性のフリーライター)
データベース検索では90年代に、日本各地で「小学校の卒業式は中学校の制服か、私服か」で論争が起きていることが分かる。「これまでは制服を暗黙の了解で着させられていたようだが、それは嫌だ。私服にしたい」という女子児童の保護者からの意見も目立つ。
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