なぜこの国は「窓口」にこだわるのか(古市憲寿)

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 パスポートの更新に行ってきた。10年ぶりの切り替えである。驚いたのは、10年前とほぼ手続きが変わっていなかったことだ。

 わざわざパスポートセンターへ出向き、書類と写真を提出し、狭苦しい待合室で順番を待ち、しかも受け取りはさらに1週間後。また同じパスポートセンターへ行かないとならない。

 10年前といえば、日本でようやくiPhoneが発売された年だ。ほとんどの人はガラケーを使っていた。ツイッターはあったが、ここまで一般的ではなかった。LINEやインスタグラムは、まだ影も形もない。

 この10年でIT環境はがらっと変わった。老若男女がスマホを持ち歩き、新幹線のチケット予約もタクシーの配車もアプリで簡単にできるようになった。オンライン決済やネット通販も普及し、もはやほとんどのことが自宅でできる。

 それにもかかわらず、パスポートはこのありさま。

 僕は親が本籍を変更していたので、更新手続きに戸籍謄本も必要だったのだが、その取得も面倒だった。わざわざ実家のある街まで行き、窓口で書類を受け取ってきた。一応、郵送も可能だというが、それには数日を要するという。何だろう、この信じられない20世紀感。

 そもそも戸籍制度自体、廃止するべきだと思う。国民を家族単位で管理する戸籍なんて仕組みがあるのは、今では日本と台湾くらい。

 戦後、家制度が廃止される時、GHQから「戸籍を廃止して、個人別登録制にすべき」という要請があった。これに時の政府は、何と紙不足を理由に戸籍改革が難しいと返答をしている(『戦後日本の女性政策』)。戸籍なら家族で紙1枚で済むが、個人ごとに紙を用意する余裕までないというのだ。

 今では、さすがにこんな屁理屈、通用しない。しかも現代日本には、巨額を投じて導入されたマイナンバー制度がある。本当ならさっさと戸籍制度を廃止して、マイナンバーに一元化してしまえばいい(そんなこともできないマイナンバーに大した意味はない)。

 なぜ国は、これほどまで窓口での手続きにこだわるのか。対面での「本人確認」が必要というかも知れないが、顔認証なんてITが最も得意とするところである。現に、空港での出入国管理においては、顔認証ゲートが本格導入された。

 経済産業省は今年、「空の移動革命に向けた官民協議会」なるものを設立した。「空飛ぶクルマ」の実現を目指すらしい。本当に空飛ぶクルマ(要は小型ヘリでしょ?)が普及してしまったら、空は大渋滞になる。民間が開発するのは自由だが、そんなことを国が応援する意味がわからない。

 空飛ぶクルマを開発する暇があるなら、一刻も早くできる限りの申請や手続きをパソコンやスマホで行えるようにすべきだ。実はパスポートの場合、昔は電子申請ができたのだが時期尚早で撤退したという経緯がある。本当は今こそ頑張って欲しいのだけど。きちんとこの国は変われるのか、10年後のパスポート更新が今から憂鬱である。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2018年12月20日号掲載

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