新作決定! 新海誠監督「君の名は。」をあのベストセラー数学者が熱く推す理由
お茶の水女子大学名誉教授も絶賛
新海誠監督が、来年、3年ぶりの新作となる「天気の子」を公開することが13日、発表された。これが一般のニュースにまで大きく取り上げられた理由は言うまでもなく、前作にあたる「君の名は。」が空前のヒットとなったからだ。
「君の名は。」は、2016年に公開されると、社会現象と言えるほどのヒットとなり、今でも「聖地」を訪れる人が絶えないほど。老若男女、幅広い層から支持を得て、興業収入は250億円を突破したと言う。
270万部を超えるベストセラー『国家の品格』の著者で、数学者(お茶の水女子大学名誉教授)の藤原正彦さんも、「君の名は。」の熱烈なファンの一人だ。
藤原さんは、新著『国家と教養』の中で、最高級の賛辞を送っている。
「『君の名は。』を見て、美しい絵と溢れる情緒に心打たれました。こういう作品を若い人が作ってくれたので、日本もまだ大丈夫、と久しぶりに思ったものです」
藤原氏は同書で、こうしたアニメも含む日本の大衆文化に積極的に接することを強く勧めている。そうすることが、「教養」を培うことにつながる、と言うのだ。どういうことか。以下、同書をもとに、その理由を見てみよう。
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アニメもマンガも教養
私たちは教養と聞くと、ついつい古典や難解な本を読む、あるいは大学や講座で学ぶといったことで身に付くと思いがちだ。もちろん、そうしたことで身に付く教養はあなどれない。
もちろん藤原氏も、「人文的教養(哲学や古典など)」「社会教養(政治、経済、歴史、地政学など)」「科学教養(科学、数学、統計学など)」は大切だ、という立場だ。これらは世間でよくイメージされる「教養」のカテゴリーに含まれるものだろう。
しかし、藤原氏はそこに「大衆文化教養」も加えるべきだ、と言う。
大衆文芸、古典芸能、音楽、映画、マンガ、アニメ等々。
マンガやアニメも「教養」と聞くと眉をひそめる人、大喜びの人と反応は様々だろうが、その理由はこうだ。
「これらに親しむことで、美に心動かされたり、人情に触れて胸を熱くしたりすることができます。これらは主に情緒を養うものです。我が国には歌舞伎、能、狂言、人形浄瑠璃、落語などの古典芸能が今も盛んなのに加え、邦楽、茶道、華道、香道、書道、歌道、俳道などの芸道もあり、世界でも類例のない芸能芸道大国なのです。
このようなものが古くから現在に至るまで盛んに行われているのは壮観です。近年は世界中の人々からも驚嘆されるようになり、国家に品格を与えています。未だに世界から称賛されている黒澤や小津の映画、世界を席捲中のアニメなどもあります」
ケンブリッジ大学の数学者も絶賛
もともと藤原氏は、アニメは子供向けのものだと思っていたという。しかし、その意識を変えたのは、ケンブリッジ大学時代の同僚だった。
「ケンブリッジ大学でのかつての同僚である天才数学者が、『「千と千尋の神隠し」に感動した』と言うのを聞いて、びっくりしました。それまでに私の見たアニメと言ったら、幼い息子達とテレビで時々一緒に見た『クレヨンしんちゃん』と『ドラえもん』くらいだったのです」
同僚の言葉から、アニメにも積極的に興味を持つようになり、「君の名は。」にも出合ったというわけだ。そしてこうした大衆文化の効能をこう語る。
「アニメに限らず、これら大衆文化には、日本人の図抜けて繊細な美的感受性や情緒が溢れているので、分かり易いものから徐々に世界中で評価されていくはずです」
こうした大衆文化に接することで、日本人の情緒は養われる。それこそが生きていくうえで必要なのだ、と藤原氏は強調する。良い映画に心動かされる。美しい歌に涙する。そうした人間的な感情を持たずして、何のための「教養」か、と。
「日本人としての情緒や形を持たない人間は、舶来の形にあっと言う間に圧倒されてしまいます。根無し草は雨風に弱いのです。大正時代以降の教養層は、大正デモクラシーに圧倒され、次いでマルクス主義に圧倒され、ナチズムに圧倒され、戦後はGHQに圧倒され、今ではグローバリズムに圧倒されています。現代に至る日本の知識人のひ弱さは、世界に誇る我が国の大衆文化、すなわち日本人としての情緒や形を軽侮したことに因があるとも言えるのではないでしょうか」
西洋由来の「教養」、従来のインテリが有難がる「教養」だけでは、頭でっかちになりがちで、それではせっかくの「教養」も死んだものになってしまう、というのだ。もちろんアニメとマンガだけで「教養」が身に付くという話ではないが、とかく外来の思想や規範を有難がる傾向に違和感を持つ人は大きくうなずくのではないだろうか。