そもそも体罰はスポーツ界で有効だったのか 伝説のボクシングトレーナーが教えてくれること

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また体罰問題が

 被害者だったはずの貴ノ岩が付け人に暴行したことが明らかになり、引退に追い込まれる事態にまで発展してしまった。2つの暴行事件、どちらも暴力を振るったほうには「指導」という意識があったようだが、こういうやり方は今では通用しないことになっている。

 頻繁に起きるこの手の問題で、よく言われるのが「昔は当たり前だったけど、今はダメ」という論理だ。たしかにちょっと前まではスポーツ界のみならず家庭や学校でもゲンコツ、ビンタ、ケツバットは珍しくなかった。
 しかし、そもそも「昔は当たり前」だったのだろうか。体罰に頼らない指導はなかったのか。決してそんなことはない。
 実は「どつきあい」のイメージが強いボクシングの世界で、そういうタイプの指導を排して名選手を輩出した指導者がいたのだ。
 名門「ヨネクラジム」のチーフトレーナーとして多くの選手を指導した松本清司氏(1936~1994)。柴田国明やガッツ石松ら世界チャンピオンだけで5人、日本と東洋太平洋を含めると50人近くのチャンピオンを指導してきた名指導者である。
「ボクシングは紳士のスポーツである」がモットーである松本氏の指導は、無益な体罰からは程遠いものだった。『指導者の条件』(黒井克行・著)をもとに、その奥義を見てみよう(以下、引用は同書より)

手は出さない

 アマチュアボクシング界で実績のあった松本氏は、大学卒業後、社会人として生活していたところに先輩の米倉健司氏から誘われたことをきっかけに、ジムのトレーナーになる。以降、ジムの2階に住みこんで家庭生活まで送っていたというから、まさにボクシング漬けの毎日だ。そんなトレーナーにずっと練習を見られているのだから、選手は気を抜けない。

「松本は指導者でありながら、選手に多くを語らなかった。そもそも教えるのは基本だけで、それ以上のアドバイスを送らない。基本に忠実に、かつ真摯に練習に向き合えば自ずと答えは出るはずだと、口を真一文字に練習を見守るだけだ。(略)
 たとえ手抜きを見つけても、気になるところがあっても一切何も言わない。
『自分でわかるはずだ』と」

 つまり手を出すどころか、口すら出さないのだ。なぜか。

「口で言って理解させることができるほどボクシングは甘くない。自ら悩みもがき苦しんだ中から掴んだものしかリング上では役に立たない。だから、松本は時間がかかってもいいから選手が自分の力でそれを“嗅ぎ取れる”までダンマリを決め込んでいるのであった」

 そんなやり方で本当にうまくいくのか、疑う向きもあるだろうが、実際に指導を受けた選手はこう証言している。

「手を抜くのは簡単だけど、苦しくてもそれができないんですよ。自分一人くらい力を抜いてもわかるまいと思っても先生には全てお見通しで、背中を見せていてもそこに目が付いているんじゃないかと思われるくらいに見破るんです」(元日本ライト級チャンピオンの成田城健)

 多くの練習生が、松本には全てを見抜かれているようだった、と語っている。

背中で語る

 暴走族上がりや素行不良の青年がジムの門を叩くこともあった。「ボクシングは紳士のスポーツである」というモットーからすれば入門を断ってもおかしくないのだが、松本は受け入れた。しかも、入門すると不良たちは大人しくなってしまったのだ。高校入学後、1週間で中退させられた古城賢一郎は、ジムに足を踏み入れた時、一糸乱れぬ緊張感と殺気だった先輩たちの迫力に借りてきた猫のようになったという。

「そこには松本という『先生』が作り出した“教育現場”があったからだ。青春ドラマの熱血教師がわかった風な口で言う能書きなどない。基本以外ほとんど教えない“背中で語る”松本が構えているだけである。それまで人生の答えを見つけきれずにいた者はその存在感に圧倒され、いつしか松本の懐に引きこまれていた」

 のちに日本王者にまでなった古城は黒井氏の取材にこう答えている。

「僕は何一つ誇れるものがありませんが、15歳から始めて15年もの間、ボクシングが出来たことが唯一の勲章だと思っています。(松本)先生は師匠であり、恩人であり、父親以上の身内です」

 ここまでの信頼を勝ち取れた背景には「父性」があったのではないか、というのが黒井氏の見立てだ。

「(ボクサーたちは)いかに鼻息が荒くても半ば命を賭けた戦いに不安は尽きない。本来、肉親でしか背負いきれない不安を一緒に背負っていたのが松本だった。彼らは松本に父性を感じていたのだ。だからこそ、親子の絆のごとく、多くを語らずとも通じ合え、信頼も生まれたのである」

 決して自らの指導を押し付けず、しかし眼力と物言わぬ迫力で選手の成長を促した。松本の「背中で語る」指導から学ぶべき点は多そうだ。

デイリー新潮編集部

2018年12月11日掲載

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