「中期中絶」の壮絶な現場と「性教育」「アフターピル問題」
【筆者:相馬花(仮名)・産婦人科クリニック看護師】
私はとある産婦人科医院で働く看護師です。人工妊娠中絶の件数が多く、中でも、子宮収縮剤で人工的に陣痛を起こし流産させる、いわゆる“中期中絶”(妊娠中期=12週~22週未満)が数多く行われているクリニックです。まだほんの“子ども”にしか見えない未成年や、様々な事情を抱えた大人の妊婦さんが、中絶を希望して訪れます。もちろん医師は産むことを勧めますが、やはり事情は人それぞれです。
一昨日は、隣の部屋が出産のお祝いムードに包まれる中、私のいた部屋には重苦しい空気が流れていました。皆、一声も発することなく、中絶手術受けた本人も声を殺して泣き、静けさの中で淡々と処置は終わりました。看取りは慣れているつもりですが、中期中絶の日は、いつも悲しく辛い思いに押しつぶされそうになります。
とっても綺麗な可愛い赤ちゃんでした。本当はあと半年もすれば、産声をあげ、抱っこしてもらえるはずだった命。娩出後に臍帯を縛っても、赤ちゃんがしばらく生きていることもあります。私はそのまま処理を進めず、時間がある限り、赤ちゃんに寄り添います。最期の時が少しでも安らかでありますように。抱っこを拒否されるお母さんも少なくありませんが、そんな時は、代わりに抱っこしてあげます。
知られてはいけない中絶の現場
私が今のクリニックに来るまでに経験したのは子宮内胎児死亡、つまり死産だったので、外に出てきた時には赤ちゃんは既に青黒くなっていました。でも、妊婦側の希望による中期中絶では、出て来たその瞬間まで赤ちゃんは生きています。赤ちゃんの心臓は、赤ちゃんの体の外から見ても分かるくらいに、しっかりとした鼓動を打ち続けている。
しかも、早い週数で処置をできず、22週未満ぎりぎりで処置をした場合、外に出した瞬間に泣く赤ちゃんもいます。しかし医師は泣かせてはいけないと、直ぐに赤ちゃんの口を手でぐっと抑えます。さらに急いで臍帯を縛る。命の綱を断つのです。医師も、必死に耐えている表情。次第に赤ちゃんの表情は苦痛に満ち、段々と青ざめ、冷たくなっていきます。さっきまで確かに生きていたのに。
この光景を初めて見た時、私は、「人殺しだ。本当にこれは人殺しだ」と、一瞬パニックになりました。自分がしているこの仕事は、いったい何の為なのか。何日も、何も感じられないくらいに感情が麻痺し、ショックだった。そのことが、今も生々しく思い出されます
それが、この仕事をしている人にしか分からない現場であり、現実です。特段、口止めされているわけではなくても、関係者以外には話したことはありません。知られてはいけない現実であると、スタッフが皆、暗黙の了解でそう感じています。この現実を知るからこそ、子宮内容除去術(機械的に子宮内容物を除去する手術。妊娠初期=12週頃まで)以外の中絶はやりたがらないクリニックはたくさんあります。
さらに、日本では妊娠12週以降の中絶は、死産届を妊婦さんが提出しなければなりません。するとその場合、実際には中絶にもかかわらず、出産育児一時金が支払われるのです。まるで自分たちの税金を投じて人殺しに加担しているような気にさえなります。アフターピルが広まるのを拒む動きがある中で、こんな矛盾が知られずにいます。
中学生の中絶手術と性教育
中期中絶の現実はほとんど知られておらず、簡単に処置して終わり、と多くの方が思われているかもしれません。でも、若くしてそうした中絶手術を受ける子たちもいます。自分が悪かったと、一人では背負いきれないほど大きな心の傷を抱えて生きていくことになります。
先日も、ある10代の中学生になりたての女の子が、男の子と一緒に病院へ来ました。生理が来ないので妊娠しているか調べて欲しいと言うのです。診察の結果、やはり妊娠していました。双方の両親とも話し合い、経済的理由から中絶を選択。話をしていても、事の重大さを自覚できない程にまだあどけない2人。日程を決めて入院し、処置は施行されました。
さらに驚いたのは、退院後に来院されたご両親です。医師に、「娘に避妊目的でしばらく低量用ピルを飲ませておきたい」と相談に来たのです。しかし、担当医はご両親に丁寧に説明していました。「セックスするのは悪いことではありません。むしろ、どんな時にするべきことなのか、性欲をどうコントロールしていくか、人間であるならどう行動するべきかを教えなければならない。ピルを飲み続ければ確かにまた同じようなことは起きないでしょう。しかし、ピルを飲ませることで、そうした教育の機会が失われてしまうかもしれない。そういう意味で、今回ピルを処方する事には反対です」
家庭内で適切な性教育が行われていない現状。しかし、性教育を学校だけに頼るのは無理があります。家庭内での親子のコミュニケーションや育児の方法にも大きく左右されるとはいえ、「子どもはセックスなんてまだしない、知らない」などというのはもう昔の話。今は色んな所から情報を得る事ができ、妊娠の意味も中絶の意味も本当には分かっていない10代の子ども、大人の真似をします。
彼らをいくら叱ってみても、分からないものは分からないのです。順を追って説明し、反応を確認し、望まない妊娠を簡単にしてはいけないのはなぜなのか、自分の口で言えるようになるには、時間がかかります。
でも、それは大人の責任なのです。
誰でも失敗はします。でも、恥ずかしいのは失敗でもなければ、もちろんセックスをすることでもありません。結果に対して、あるいは結果を見越して、適切な対応を取れない無責任な大人たちの方です! 教育を放棄している。それが、今の日本の恥ずかしい現実です。
誰かを責めても解決しない、学び直すべきは大人
私は常々、私たち大人が、もう一度正しい性教育を受ける必要があると思っています。誰しも、自分が知っていることしか教えられません。ところが、今までの日本人の性教育ではもう対応できない。まず大人自身が、性教育について学び直す必要があるのです。
そもそも大の大人でも、学習能力に欠け、何度も中絶を繰り返す人がいます。世間の人たちは、彼らがしていることは「人殺し」と変わらない、もっとその現実を突き付け、反省させろと言うかもしれません(もちろん、中にはレイプなどの被害者も含まれますから、一概には言えませんが)。しかし私は、どんな場合でも、どんな人に対してでも、反省しろという言い方は間違っていると思います。
彼らと接していて明らかなのは、知識不足です。大人なら正しい避妊方法を知っていて当然と思っていましたが、初歩的なことさえ、あまりにも知らなさすぎる。
例えば、コンドーム。どのタイミングでつけたらいいか、知らない人が驚くほど多い。さらに、コンドームによる避妊失敗の多さ。コンドームは簡単に使用できる、という世間での認識とはかけ離れた実態があります。サイズが合っていない、射精後しばらく膣内にペニスを留置したために抜去時に脱落する、など、使い慣れるまでは失敗することも多いのです。
また、女性の基礎体温から排卵日を予測して行った避妊も、失敗しがちです。女性の月経周期はとてもデリケートで、ちょっとしたストレスで簡単にズレてしまいます。そもそも基礎体温を付けて自分の月経周期を熟知していたとしても、それこそ医療者でもない限り(厳密には医療者でも)、そこから予測して完璧に避妊するのは困難です。
つまり、中絶を選択せざるを得なかった人たちは、学習する機会を与えられなかった人たちなのです。彼らには、子供と同じように一から説明していくしかありません。きちんとした教育が確立していないところで、彼らを頭ごなしに批判していったところで、社会全体として状況は改善されません。まず、教育です。きちんと説明を受け、理解した上で、今後どんな行動を取るかはその人の責任、ということです。
アフターピル反対は「中絶黙認」に等しい
“子ども”であろうと大人であろうと、中絶をした人たちは、自分のした行為で大切な命が失われたことは、十分に分かっています。でも、親も世間も、その事実から目を背けたり、見て見ぬふりをして、真剣に向き合ってはくれません。だから当事者も、一生懸命に無かったことにしようと、明るく振る舞うことに必死です。
現場を知る私にしてみれば、アフターピルのオンライン処方や市販化に反対し、普及を妨げる人たちは、そうした苦しみを放置し、黙認し、生きられない命を増やすことに賛同しているに等しい。当事者ではないから、きれいごとを言っていれば済むのです。だったら、毎日仏壇に手を合わせ、謝って下さい。「赤ちゃんごめんね。苦しむ前に何とかしてあげられなくてごめんね」って。
中絶された赤ちゃんの手を握りながら看取るのは、実際、私くらいです。今日は保冷庫を開けて、一昨日の赤ちゃんに声をかけ、改めて手を合わせました。来世は必ず産声をあげられますように、と。そして、正直に言えば、もう赤ちゃんの泣き声に罪悪感を抱かなくて済みますように。もう赤ちゃんを殺さなくても済みますように。
今後、早急に性教育が充実し、正しいアフターピル使用について皆が知り、同じことが繰り返されないよう望みます。同じ苦しみや悲しみを味わう人が少しでも減り、誰もが笑顔で赤ちゃんを抱っこすることができる日が来ますように。
(本稿は『MRIC』メールマガジン2018年11月15日号よりの転載です)