DaiGoくんが得意な「あきらめること」の効能(古市憲寿)

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 メンタリストDaiGoくんと城田優くんのネット番組に出演してきた。印象的だったのは、DaiGoくんのもらした一言。彼は、何よりも「あきらめること」が得意なのだという。

 DaiGoくん曰く、子どもの頃、ずっといじめに遭っていたので、自分自身に対する執着がなくなってしまった。だから今でも「生涯の夢」や「絶対にやりたいこと」などがないのだそう。

 だが彼が虚無的な日々を送っているかというと全く違う。毎月(!)、何冊もの本を出版し、ニコ生の番組もほぼ毎週放送している。その合間を縫って海外へ行ったりと、とんでもなく忙しい日々だ。

 このような生活を送ることを、今のDaiGoくんはとても楽しんでいる。しかし、もっと楽しいことが見つかれば、いつでも現在の仕事を廃業してもいいと思っているらしい。

 執着やこだわりがないからこそ生産性が上がるというのは示唆的だ。普通の人は、変なこだわりやプライドが邪魔をしてしまい、最適解を選べないことがままある。

 たとえば僕は、DaiGoくんのように毎月何冊も本を出すなんてことはできないと思う。そもそも対談やインタビューを除いて、誰かに書いてもらった文章を、自分の言葉として伝える気になれない。

 だがこれも、無駄といえば無駄なこだわりだ。本当は、話したことや考えたことを、優秀なライターや編集者に文章にしてもらったほうが、よりよい本ができる可能性は十分にある。そういえば田原総一朗さんからも、自分で書いた本よりも、書き起こしてもらった本のほうが売れてショックを受けたという話を聞いたことがある。

 それなのに、なぜ僕が自分で文章を書くことにこだわるのかといえば、これもただの執着に過ぎない。自分で書きたいから書いているだけだ(このエッセイもこうして夜中にちまちま書いているし)。

 DaiGoくんのような生き方は中々できない。慣れ親しんだ習慣や、知らずに身につけてしまった偏見から自由になることは難しい。

 その意味で僕たちの人生は、執着の集積といえるだろう。好きな食べ物、好みのタイプ、心地のいい音楽、居心地のいい人、お気に入りの場所。偶然が重なって、人間は好き嫌いを覚えていく。そしていつしか、新しいものを受け入れることさえ億劫になってしまう。

 だから執着のある人生は、楽だとも言える。自分が好きなものだけを選んでいく生き方だからだ。逆にいえば、「あきらめること」が得意なDaiGoくんは、やはり非凡である。

 そういえば最近出版した『平成くん、さようなら』という小説の主人公「平成くん」は、少しだけDaiGoくんに似ている部分がある。物語のワンシーンで、平成くんに「僕にもうこれ以上、欲を持たせないでよ」と言わせてみた。DaiGoくんが平成くんのように、うっかりと何かに「欲」を持ってしまうことがあるのか気になった。まあ、ないかな。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2018年11月15日号掲載

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