理想の上司vs.悪魔的起業家 ゆうきまさみ『機動警察パトレイバー』

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「理想の上司像は?」という質問に、私は定番の答えをもっている。「パトレイバーの後藤さん」というのがそれだ。

 ゆうきまさみの『機動警察パトレイバー』(小学館)は、東京を舞台とする近未来SFマンガの傑作だ。多足歩行式ロボット「レイバー」が広く普及し、急増するレイバー犯罪に対処するため、警視庁が本庁警備部内に設置した「パトロールレイバー中隊」特車2課の活躍が描かれる。「後藤さん」はこの特車2 課の第2小隊を率いる後藤喜一隊長のことである。

「大人の世界」が作る味

 アニメ、実写と何度も映画化されたこのマンガが極上のエンターテインメントであることは、今さら指摘するまでもないだろう。掲載誌は『週刊少年サンデー』だったが、大人の鑑賞にも十分耐える。というより、大人でなければ十分味わえないほど、警察や企業など「大人の世界」の機微や緊迫感が作品の味を作っている。

 例えば、当時はテレビや映画でもほとんど取り上げられることがなかった警察組織内のキャリアとノンキャリの微妙な関係も、スパイスとして効果的に使われている。敵役のレイバー「グリフォン」の母体になる多国籍企業「シャフト・エンタープライズ」の社内抗争の綱引きも、戯画的ではあるが十分なリアリティーがある。多様なレイバーも技術発展の裏付けを持ったリアルな存在として描かれ、キャラクターの造形やそれぞれのドラマも丁寧で、恐ろしく完成度が高い。

「有事」に抜群の切れ味

 さて「後藤さん」である。

 このマンガの「表の主人公」は特車2課のレイバー98式AV(アドヴァンスト・ビーグル)、通称「イングラム」と女性操縦士である泉野明(いずみ・のあ)だ。彼女を中心とする若手の隊員たちの活躍と成長の軌跡がストーリーの軸なのは間違いない。

 だが、大人の読者がもっともシビれる登場人物は、後藤隊長だろう。

 昼行燈ともいわれる飄々とした風貌で、仕事は部下任せ、シリアスな場面でも不謹慎で乾いたジョークを連発する。「平時」は高田純次的ないい加減さを漂わせるこの中年男が、「有事」には抜群の切れ味をみせる。

 そのギャップに加え、「むき出しの肌のように敏感」と後藤が描写してみせる、ナイーブな若手隊員たちとの接し方の絶妙さが実に魅力的なのだ。

 野明やコンビを組む篠原遊馬(あすま)など20代の隊員たちは、次々にトラブルや「壁」にぶち当たる。後藤は、ある時には厳しい指導によって、またある時には対話や「飲みニケーション」で、部下の成長を促す。そうした場面では、後藤の警察官の社会的使命への真摯な姿勢と、諦念にも近い覚悟を持った現実主義者の顔がのぞく。

 隊員の士気を高めるべきとき、あるいは現場の判断を重視すべき局面では、組織内の手続きをすっ飛ばす決断力を発揮し、「上」との摩擦も辞さない。そして、隊員の不手際に際しては、組織の長として責任を取りながら、部下は責めず、むしろユーモアをもって柔らかく接し、「前」を向かせる。まさに「理想の上司像」ではないだろうか。

「組織のはみ出しモノ」

 この後藤と対峙する敵役、「シャフト」日本法人の企画7課課長の内海、別名リチャード・王(ウォン)も、後藤に引けを取らない魅力的なキャラだ。

 企画7課は表向きビデオゲームの開発を担っているが、実際には極秘プロジェクトとして戦闘用レイバー「グリフォン」を開発・製造している。「手段のためには目的を選ばない」男・内海は、企業の損得や倫理観などは眼中になく、「世界最強のレイバーを作り、それを見せびらかす」という自らの子供じみた欲望のため、当代最高性能を誇る特車2課の「イングラム」に挑戦する。

 新規プロジェクトに邁進する内海は社内起業家のような存在だが、会社からすれば悪魔のような異分子だ。開発資金が足りなければ社内システムをハッキングして使途不明金を不正流用し、グリフォンの少年パイロットは人身売買組織から調達。密輸やテロ支援もためらわない。反社会性は露わなのに、「世界最強のレイバーを作る」というビジョンと大胆な行動力に引っ張られ、エンジニアや企画7課のスタッフは内海と一蓮托生の道を歩む。この人材を引き付ける悪魔的な魅力も、スティーブ・ジョブスやイーロン・マスクなど狂気を宿した起業家に通じるものがある。

「パトレイバー」を傑作たらしめているのはこの後藤と内海というオジサンのキャラの立ち具合であり、2人の駆け引きや組織内遊泳術に作品の醍醐味がある。後藤と内海は直接対峙することはなく、終盤に電話で2度会話するだけだが、「組織のはみ出しモノ」という似たもの同士でもある両者の間には、物語を通じて因縁が絡み続ける。特に、ある事件を巡る電話での駆け引きは、緊迫感とユーモアのバランスが絶妙で、会話の流れや後藤の表情や仕草の描写が素晴らしく、漫画史に残る名場面といっても過言ではないだろう。

「ないもの」と「あるもの」

 オジサン2人の対決という本筋以外にも、この作品には「過去から見た未来像」と現実を比較するという楽しみ方がある。

 本作の時代設定は連載開始時1988年から10年後の近未来、つまり20世紀末となっている。今、その20年後の未来の目でみると、現実と比較して作中に「ないもの」と「あるもの」がパラレルワールドを覗き見するような興を与えてくれる。

「ないもの」の筆頭は携帯電話だ。堀井憲一郎は好著『若者殺しの時代』でテレビドラマを徹底検証し、携帯電話は「1989年に一部の人が使い始め、1995年にかなり出回り、1997年からみんなが持つようになり、1998年以降、持ってないことが許されなくなった」と簡潔にまとめている。『パトレイバー』の『サンデー』の連載は1994年に終わっている。自動車電話は何度か出てくるが、個人はまだポケベルどまりで、「すぐつかまらない」ことがしばしばトラブルの火種になる。つくづく、我々のコミュニケーションが「携帯以前」と「携帯以降」で様変わりしたのを感じさせられる。前述の後藤と内海の交渉シーンも、固定電話と公衆電話でなければ「味」が損なわれるだろう。

 逆に「あるもの」に目を向けると、本作の先見性には驚かされる。レイバーの性能を握るオペレーションシステムの対立という構図や、手の動作と連動したレイバーの操作系などのテクノロジーだけでなく、人手不足と外国人労働者受け入れ問題、自動運転の普及に伴う労働者側の失業への懸念、過激化する環境保護運動、日本の対テロ対策の甘さなど、その視野は社会問題にまで及んでいる。

 先見性という面では、巨大生物「廃棄物13号」事件のエピソードにみられる、「巨大怪獣と対決する政府・行政組織」という展開と撃退の決定打となる対抗策には、映画『シン・ゴジラ』の先行作という趣もある。

 今回、このコラムを書くにあたって再読した際には、第2小隊のまとめ役である熊耳武緒(くまがみ・たけお)の内海に対する愛憎半ばする複雑な思いが、意外なほど胸に響いた。ネタバレになるので詳細は避けるが、最終盤、熊耳が内海に「リチャード‼」と呼びかけるシーンが、強い印象を残した。不可解にも思える熊耳の一連の行動を説明しつくす、うなるような絶妙なセリフだ。ぜひ、本編で味わってみてほしい。

 映画版やアニメ版も一流のスタッフが腕を振るった秀作ぞろいで私も一通り見ているが、マンガ版がもっともバランスのよい娯楽作品に仕上がっていると思う。脇役も含め、魅力的なキャラクターたちに再会したくなると、ついつい再読してしまう。

高井浩章
1972年生まれ。経済記者・デスクとして20年超の経験があり、金融市場や国際ニュースなどお堅い分野が専門だが、実は自宅の本棚14本の約半分をマンガが占める。インプレス・ミシマ社の共同レーベル「しごとのわ」から出した経済青春小説『おカネの教室 僕らがおかしなクラブで学んだ秘密』がヒット中。
noteの連載はこちら→https://note.mu/hirotakai

Foresight 2018年11月6日掲載

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