「仙谷由人氏」逝去 “赤い官房長官”の最後の関心はAI

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 国民の期待を映し出したかに見えた一方、多くの失望も招いた民主党政権。

 今月11日、そんな民主党政権の中枢で“赤い官房長官”と呼ばれ権勢を振るった仙谷由人氏が肺癌でこの世を去った。享年72。

 もっとも、彼が官房長官を務めたのは7カ月ほどのこと。それでも官房長官のイメージが強いのは、それだけ強烈な事件が多かったからに他ならない。

「なかでも一番記憶に残っているのは、2010年9月に発生した“尖閣諸島中国漁船衝突事件”でしょう」

 と、さる政治部デスク。尖閣諸島付近で違法操業を行っていた中国漁船が海上保安庁の巡視船に故意に衝突。しかし、公務執行妨害で逮捕されたはずの中国人船長が“超法規的措置”で釈放されたのはご記憶の通りである。

「当時、菅直人総理は国連総会に出席するため外遊中。官房長官として総理代行の任にあった仙谷氏が、中国の圧力に屈し、釈放を断行したのです」(同)

 とはいえ、かねてより根っからの人権派にして親中派で知られた仙谷氏である。

「“日本の中国属国化は今に始まったことではない”との発言を暴露されたこともありましたし、参院予算委員会で“自衛隊は暴力装置”と発言して抗議を受けたこともあった」(同)

 年明けの内閣改造で官房長官の任を解かれ、仙谷氏の影響力は日増しに低下。

「東日本大震災の直後、官房副長官として復権したかに見えましたが、12年の総選挙で議席を失い、そのまま政界引退となった」(同)

 近年は新橋に事務所を構えアジア地域へ進出する企業の相談に乗っていたという。親しい関係者によれば、

「癌を患いながらも悲壮感はなく、体力が奪われるからと抗癌剤治療も行っていなかった。先月には東大合格を目指すAIの開発に取り組んだ数学者の新井紀子さんに会い、AIについて勉強させてもらったと喜んでいたんですが……」

 ご冥福をお祈りする。

週刊新潮 2018年10月25日号掲載

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