引退表明の「福原愛」が“天才卓球少女”だった頃――23年前の秘蔵ショット公開

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【2月25日】
 練習場は、自宅から車で5分ほどのところにある公立の集会所。ここを有料で借り、毎夜4時問の練習を始めたのは3年ほど前からになる。キッカケは10歳違いのお兄さん、秀行くんが、それまでやっていた空手をやめて卓球に方向転換したこと。両親とも卓球好きで、秀行くんのコーチにのめりこんだ。「幼な心に、仲間に入りたいと思ったのでしょう」(武彦さん)。

 3歳9カ月で、自分の顔ほどもあるラケットを持ち、平成4年8月12日に初練習。翌年1月には4歳で東北放送杯に出場するが、4戦全敗。愛ちゃん、これがよほど悔しかったのか、練習に熱が入り、5月の宮城県の小学生卓球選手権大会(小学3年生以下)で2位。9月の全日本選手権ではバンビの部(小2年生以下)でベスト16に残った。マスコミで騒がれ始めたのは、このころ。以後、連戦連勝を重ね、去年9月の全日本選手権では、ついに優勝を果たしてしまった。この年代、体力的なものにしろ知能的なものにしろ1歳2歳の違いが大きくモノをいう。なのに幼稚園児が小学生を破っての優勝というのは、昭和61年にバンビの部が創設されて以来、「例がないこと」(日本卓球協会)らしい。そして現在のところ、公式戦は41連勝中。練習試合では同年代が相手にならず、小学5、6年生と対戦している。

【2月28日】
 自分でおにぎりを握り、フリカケをかけてお昼ごはん。この日は午後からテレビ局の取材陣が来るため、不動産会社を経営している父親の武彦さんも身支度を整える。約束の時間は追っていて、けっこう慌ただしいハズなのだが、愛ちゃんはマイペースで、もくもくとおにぎりを握っては食べている。と、「ピンポーン」玄関チャイムの音が。てっきりテレビ局の人が早めに到着したのかと思ったら、近所の小学5年生3人連れ。「サインください」だと。

父「愛、サインくださいって言ってるよ、サイン、サイン」。しかし、食事中の愛ちゃんは、小さい声で「……いや」。父親に促されて、ようやく玄関を出ていく愛ちゃん。ノートに「あい」と平仮名で大書。武彦さんから「福原愛」と名前の入ったピンポン球をお土産にもらい、「ありがとゴザイマ~ス」と3人連れ、嬉しそう。母親の千代さんによると、「サインください」コールは、新幹線の車中でかけられることが多い、とか。

「6歳にしてはあまりにも有名になりすぎてしまって、いろんなこと、言われます。子どもで金稼ぐつもりなのか、とか、ね。それに対して、いちいち反論してたら、疲れてしまいますもん、言いません。ただ、愛は小さくても卓球選手。とにかく、愛を通じて、卓球が広まればいいって思ってるんです」(武彦さん)。実際、愛ちゃんは、平成5年12月に日本卓球協会から「功労賞」を、先月は宮城県体育協会から「特別奨励賞」を授与されている。卓球の普及には、相当、貢献しているのだ。

 まだ6歳という年齢ゆえに、その才能については「未知数というしかない」という専門家も多い。ただ、膝の柔らかさについては「人並みはずれて素晴らしい、と絶賛されることが多い」(武彦さん)そうで、実はこれはトランポリンのせい。

「よく子どもが布団の上にのぼって、ポンポン飛び跳ねるでしょ。愛も同じことやってたんで、7千円でトランポリンを買ってきたんです。そしたら飽きずに一日中飛んでるんですわ」。膝の柔らかさは、このときに培われたらしい。「子どもの運動神経を発達させるのに、どうしたらいいでしょうかと聞かれたら、いつもトランポリンを勧めているんです」。愛ちゃんの部屋には今もトランポリンが置いてある。

 さて、そんな愛ちゃんの今後だが、「このままいけば、確かに中学くらいまでは全国でトップレベルを維持することはできるでしょう。しかし、精神的、肉体的に大きく成長するその後、が大事。伸び盛りに、卓球に飽きてしまわなければいいのですが」(卓球の名門、仙台育英高校の大岡巌卓球部総監督の話)。’88年のソウル五輪からオリンピックの正式種目になった卓球は、バルセロナでは日本から高校生が代表選手として出場している。移動の車中で眠り込むほどクタクタになるまで練習している愛ちゃん。あと10年で、果して、どんな成長ぶりを見せてくれるのだろうか。 PHOTO 福田正紀

週刊新潮WEB取材班

FOCUS1995年3月15日号初出/2018年10月24日掲載

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