【五木寛之×中瀬ゆかり対談】人生のピンチからの生還法
本誌(「週刊新潮」)連載でお馴染み五木寛之氏の講義録刊行を記念して、東京・神楽坂のla kaguで公開インタビューが行われた。満員御礼の会場で聞き手を務めたのは、新潮社出版部部長の中瀬ゆかり。赤裸々な“32歳差対談”で明かされた「人生のピンチ」からの生還法とは――。
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中瀬 先生は、9月30日で何歳になられますか。
五木 86になります。
中瀬 それはすごいことですよね。若々しいのもそうですが、この度、先生は『七〇歳年下の君たちへ』という本を出されました。灘高校の生徒さんや大学生との対話集で、高校生だと下は15歳くらい。つまり70も歳の離れた方々とお話をされた。しかも先生が色んな質問を受けて、大人と話すように答えてらっしゃる。正直、話は合いましたか。
五木 やはり食い違うところはありますけど、15歳でも86歳でも、だいたい人間は同じようなものなんです。いざ向き合えば、若い人に話をしているような感じは全然ありませんでした。こっちの精神年齢が低いのかもしれませんが(笑)。
中瀬 15歳も86歳もさほど変わらないというのは、先生ならではの発言ですが、ご自身は何歳のつもりとか、日頃から意識されていますか。「実は50で止まっている」とか「18のまま」など。
五木 あんまり考えたことがないなぁ。僕は昭和7年、1932年の9月30日生まれですが、同じ生年月日の人が何人かいてね、グラビアで「同年同日生まれ」というのをやったことがあるんですよ。僕は石原慎太郎さんと同じでした。
中瀬 有名なお話ですが、かなり違うお二人ですね。
五木 主義主張とか全然違いますけど、テレビなんかに出ているとつい応援してますね。他に大島渚、小田実、白土三平、岩城宏之、青島幸男も横山ノックもみんな昭和7年組。60年代に「花の7年組」という言葉があった。今だったら流行語大賞になったと思いますけど。昭和7年生まれの人たちが、猿芝居をしながら強引に時代をリードする流れがあった。先日若い編集者に「花の7年組って言葉を知っているかい」と聞いたらぜんぜん通じなくてね。「こういうことだったんだよ、君も昭和7年生まれの人を誰か知っているだろ」って言ったら首をひねって、「1人知っています」と言う。「誰だい」って聞いたら、亡くなった野村沙知代さんだと。
中瀬 サッチー……。
五木 そういう方もいらっしゃる。中瀬さんはお若いから宜保愛子さんなど、ご存じないでしょう。
中瀬 知っていますよ。キャラの濃い方々ばかりで。
五木 非常に迫力があるね。みんな申年なんです。猿だなぁと。
中瀬 猿だなぁと(笑)。
五木 あの、僕はどんな方と対談しても、“さん付け”なんです。ですから「中瀬さん」「五木さん」でお願いします。新人時代、井伏鱒二さんと対談した際に「井伏さん」と言って、大目玉をくらったことがありますが。
中瀬 これまで五木さんは、対談で色んな方とお会いになっていますね。川端康成さん、稲垣足穂さん、深沢七郎さん、野坂昭如さんとはオナニーを話題にされて。
五木 昔は僕も若かった(笑)。
中瀬 (笑)。それこそカシアス・クレイことモハメド・アリやフランソワーズ・サガンにミック・ジャガー、最近は私、中瀬ゆかりですか。この本では、クレイを非常に美しい生き方をしていたと話されていますが、対談で記憶に残る方を教えていただけますか。
五木 それぞれの方の思い出が沢山ありますが、クレイにしても、僕はもちろん通訳を介しての会話ですけど、対談は語学じゃないなと。ホテルの部屋に行くと、ベッドの上に3冊本が置いてあって「本を読むのか」と驚いてた記者がいた。“ほら吹きクレイ”とか言われていたけど、本当はインテリで、チャンピオンを演じているところがありましたね。そういう表に出ないところをちゃんと見ていれば、向こうがそこを分かってくれる。仕事で初めての対談は吉行淳之介さんだった。
中瀬 何歳の時ですか?
五木 デビューして間もなくですから、36歳の頃かな。「アサヒ芸能」で吉行さんが連載していた「軽薄対談」というページです。それからずっと、どのくらいやったかな。500人どころじゃないかもね。対談集を出そうとしたけど数が多すぎて。先月(8月)も4回やりましたから。
中瀬 4回!
五木 書くより雑談するというのが、僕自身の、表現に携わる人間としての本質だろうと思っています。
中瀬 この本の中でも、読書より人に会うことで成長できたと話をされていますが、実は「会うんじゃなかった」なんて人はいましたか。
五木 いないですねぇ(笑)。吉行さんは対談の名手でしたから、コツを聞いてみたら「好きな奴と話をすることだよ」と言われましたね。
中瀬 五木さんに対談を断られてしまったら、嫌われているということですね。
五木 いや、断ったことはほとんどないです。
中瀬 最近は、社会学者の古市憲寿さんと“52歳差対談”をされましたが、生意気じゃなかったですか?
五木 とっても優しかった。ずいぶん労わって貰いました。
中瀬 深沢七郎さんは?
五木 なかなか対談を引き受けられないので有名な方でしたが、「カシアス・クレイとの対談を読んで引き受けようと思った」と言ってくれて、とても嬉しかったのを覚えています。ギタリストでもあったので音楽の話もよく合ってね。三島由紀夫が出したレコード「からっ風野郎」の作曲も深沢さんでした。
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