「川崎麻世」が19年前に綴った「カイヤへ!」が大暴騰 「水谷豊」に結婚相談の意外
家賃60万円で火の車
〈仕事を見つけるために、つき合いでいろいろな人と食事に行ったり、酒を飲みにも行くようになった。その結果、ぼくは家にいる時間がほとんどなくなってしまった。(中略)
カイヤのぼくへの束縛は、この時から始まった。〉
子供は生まれたが、2人はまだ結婚はしていない。川崎は結婚前からすでに恐妻家だった。ともあれ式を挙げ、事務所に所属したことで仕事も上向いてくるのだが……。
〈ぼくたちが2LDK(※著書では漢数字)のアパートから引っ越したのは、目黒にある外国人専用の一二〇坪はある庭付きの超豪華マンションだった。
部屋の間取りは3SLDK(※著書では漢数字)。応接間だけでも三十畳近くある。マスターベッドルームが十六畳、子供部屋が八畳の二部屋、トイレが二つ、庭も二つ、月に六十万円の家賃は、このタイプの中では安い方だった。
世間はバブルで浮かれてバカになってる時代。ぼくもまた、愚かだった。〉
結局、家計は火の車。当時の生活をこう振り返っている。
〈家賃六十万円の家に住んでいながら、実際は金がなくて、料金を滞納して、カイヤが唯一、家族と連絡を取れる国際電話を止められたこともある。
その頃、テレビの仕事先や舞台で出たロケ弁は、必ず家に持ち帰った。ひどい時は、家族三人、本当にそれしか食べるものがなかった。〉
91年夏、川崎家は月六十万円のマンションから、2LDK(※著書では漢数字)二十万円のマンションに移る。生活は落ち着いてくるが、カイヤの束縛は強化されたという。
〈(帰宅の)約束の時間に五分でも遅れようものなら家の中から鍵をかけられる。
仕方なく、庭の犬小屋や、車の中で寝たりした。(中略)
ストレスがストレスを生み、フラストレーションが溜まりに溜まって、毎日のように怒鳴り合いやストレスのぶつけ合いが続いた。〉
ちょうどその頃(93年)報じられたのが、斉藤由貴(52)との不倫だった。そのための会見が、テレビでよく流されている、カイヤが睨み付ける中での記者会見だ。2人はよく話し合った上で、この会見に臨んだという。
〈しかし、やはりお互いの心の中にはまだしこりが残っていたのだった。自分もカイヤを傷つけたことに罪を感じていた。きっとカイヤはまだぼくを許していないだろう。やはりお互いを傷つけ合うくらいなら、離婚した方が……。〉
早くも“離婚”の文字が出てくる。そこには川崎が母子家庭で育ったこともあるという。
〈「自分の両親も離婚している。離婚しても子供は自分のように育っていけるんだ。両親が離婚しても何にも不自由しなかったし、健康で幸せに育ってこれた。たとえぼくとカイヤが離婚しても、恵斗はちゃんと育っていくだろう……」そんな風に思っていた。〉
父の死で考えを改めた
しかし、生き別れた父親が94年に亡くなる。死の少し前に川崎は父との再会を果たしていた。そこで考えが変わったというのだ。
〈自分のエゴとか、自分が好きなことができないからといって、容易に離婚を考えてはいけないということ。愛する子供のこともちゃんと責任を持って考えなければいけないということ。(中略)アメリカからやって来た愛する妻を自分がちゃんと守ってやらなくてはいけないということなど、様々な思いが脳裏をめぐった。〉
そんな折、川崎家に産まれるのが長男である。
〈そしていま、ぼくたち夫婦は一つのルールを学んだ。
「喧嘩をしても、最後は必ず許し合い、仲直りすること」
二人の子供のため、夫婦のため、家族のためである。〉
そしてカイヤがタレントとして活躍を始める。どれくらい稼いでいるかは知らないとしつつ、こうも言っている。
〈いままで通り、電話代も、光熱費も、カイヤの携帯電話代も、カイヤの車のガソリン代も、カイヤの自動車保険も、すべて支払うのはぼくである。
カイヤの貯金は貯まる一方である。〉
現在の離婚訴訟では、カイヤ宅のために支払い続けてきた家賃計5千万円を請求する可能性が報じられている。しかし川崎は、これを否定している。ならば、なぜ離婚するのか。
実をいうと、カイヤとの結婚に当たり、川崎は意外な人物に相談を持ちかけていた。それはカイヤの妊娠が発覚し、今後をどうしようかと思い悩んでいた89年8月のこと。
〈外国人の女性というのがどういうものか、真剣に考えなくてはならないと思って、国際結婚の経験のある俳優の水谷豊さんに相談した。〉とある。
水谷豊(66)といえば、この年1月に現在の妻・伊藤蘭(63)と結婚したばかり。忘れている方も多いだろうが、水谷は「熱中時代・刑事編」(日本テレビ:1979年)で共演した米国人女優ミッキー・マッケンジー(59)と82年に結婚。しかし、86年に離婚している。
再婚ホヤホヤの先輩をつかまえて、前妻について聞くほうも聞くほうだが、まだ「相棒」シリーズ(テレビ朝日)もなかった水谷、ご丁寧にもこう答えたという。
〈やはり、国の違う同士の結婚はとても難しく、思いやりと忍耐が必要〉
結局、思いやりと忍耐が足りなかったということか。いずれにせよ、水谷のアドバイスが正しかったことだけは間違いないようだ。
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