「川崎麻世」が19年前に綴った「カイヤへ!」が大暴騰 「水谷豊」に結婚相談の意外

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「なにをいまさら」といった声まである、川崎麻世(55)が妻のカイヤ(56)に起こした離婚訴訟――。“日本一の恐妻家”と呼ばれつつも、2000年からは別居状態のため「今は平和」とも語ったこともある川崎に、どんな心境の変化があったのか。

 別居する前年に出版された自著「カイヤへ!」(マガジンハウス/1999年12月刊)は、Amazonでは数日前まで100円の古書として叩き売りされていたが、現在8477円(10月19日現在)という高値を付けている。そこにはいったい何が書かれていたのか――。

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 先日亡くなった樹木希林さん(享年75)とロックンローラー内田裕也(78)の40年以上にわたる別居生活が、彼女の死後に「こんな関係があってもいい」などと讃えられる一方で、20年近い別居生活から離婚訴訟に発展した麻世とカイヤの関係を羨む声は少ない。

 むしろ、SNSでは懐疑的な声が多い。

〈離婚をネタにした営業行為じゃね?〉

〈今更離婚せんといてよ(笑)〉

〈浮気だの、離婚だのの話題提供しかないのか!もう何十年も…何やってんの?!〉

 しかしこの2人に、過去幾度となく訪れた修羅場、カイヤに対する川崎の思いが、「カイヤへ!」には見えてくるのである。

〈ぼくの人生は、「カイヤに出逢う前」と「出逢った後」という風に、大きく分けることが出来る。(中略)カイヤとの出逢いは、それまでのぼくを一瞬にして吹き飛ばし、善きにつけ悪しきにつけ、変容させる強力な台風だった。〉 

〈「結婚なんてもうたくさん!」
 「離婚しよう」
 「あなたなんか信じられない」
 振り返ることさえ怖い、いさかいの数々。「出逢い」の運命を呪ったことも、一度や二度ではない。
 「愛するとは、憎しみ合うことなのか」〉

〈ぼくたちは「妊娠」というやむにやまれぬ状況で「出産」をし、「出産」というやむにやまれぬ状況で「結婚」をしたのだ。〉

 別居前の記述である。だからこそ最悪の状況だったと考えられなくもないが、川崎は自著で2人の仲のよさを強調しつつも、本音をチラホラと表している。

妊娠でジャニーズ退所

 そもそも2人の出会いは、〈1989年初冬、マイケル・ジャクソンの来日公演時に開かれたプライベート・パーティで、一緒のテーブルになった〉ことだという。麻世は一瞬でカイヤの美しさに心を奪われたというが、彼女のほうは隣のテーブルで大騒ぎしていたオカマ仲間の一人と見ていたらしい。しかし、1週間後に、六本木のバーで偶然に再会。男にしつこく言い寄られているところを麻世が助けたことから交際がスタートする。この頃の思いを川崎はこう綴っている。

〈カイヤという女は、すべての面において常識という概念を超えていた。それでも最初の頃は、まだ新鮮で、世の中にこんな女がいるのかと、楽しくて仕方なかった。〉

 当時の川崎といえば、あのジャニーズ事務所所属のアイドルだったが、後輩のたのきんトリオ(田原俊彦(57)、野村義男(53)、近藤真彦(54))に人気を奪われ、アイドルからミュージカル俳優に転向し、評価も上向いてきた頃だ。そこにカイヤの妊娠が発覚する。

〈ぼく自身は、十三歳で芸能界に入り、アイドルを経験し、途中で未練はあったがアイドルを辞めて、新たな舞台という仕事を始めた。世界的な成功を収めた舞台にも出演し、「さあ、これから」という時期だった。〉

 仕事はどうなる? 結婚しなくてはいけないのか? 悩む川崎を前に、カイヤは平然としていた。

〈「こんな大変な事態なのに、何でそんなに普通にしていられるのか」
 ぼくはカイヤの態度にむかつくのを覚えた。(中略)カイヤの論理は、明快でおそろしく楽観的だ。
「いいじゃない。仕事辞めて、このまま産めばいい。結婚とかは、後で考えればいいよ」
 なるほど、こいつはものすごい軽い考えの女なんだ、と思って怒りが湧いてきた。
「おれは13歳で芸能界に入り、何の問題もなくこれまでやってきたんだ。せっかく今まで築いてきたものはどうなるんだ」〉

 結局、川崎はこの年(89年)8月末日を以てジャニーズ事務所を退所することに。住まいも事務所所有のマンションだったため、そこも引き払わなければならなかった。10月には、カイヤの出産のために渡米するが、その費用は母親に借りた。長女が産まれ、翌90年1月に帰国。そこから川崎の仕事探しが始まった。

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