“ルール作りが目的”の日本 息が詰まる「コンプライアンス社会」

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企業の活力も低下

 振り返れば多くの日本人は、義務教育の段階から校則に縛られる日常を過ごしてきた。髪や爪の長さに始まって、制服の丈から靴の色までその中身は色々だが、

「守らなくても学業に支障がないような“不要なルール”を叩きこまれたことで、日本人はなぜその規則があるのかを考える機会が与えられなかった。ハーバードでは、倫理的になにが正しいのか、その判断を巡ってとことん議論する授業がありますが、日本ではそのルールが正しいから守るのではなく、上から言われたことなので……となりがち。本当に必要なルールを作り、守っていこうという意識が芽生えづらいのです」(同)

 最終的には、企業の活力が著しく低下すると警鐘を鳴らすのは、『コンプライアンスが日本を潰す』の著者で京都大学大学院教授の藤井聡氏だ。

「会社の中で、個々の社員が何が正しいのかを考え行動することが企業活力の源泉なのに、日本は顧客からのクレーム対応や、個人情報保護などの問題で『訴えられないようにする』ことがコンプライアンスの目的となっています。テレビも自主規制が多くなってつまらなくなったとよく言われますが、これも過剰なコンプライアンスが招いた結果だと思います。世間からバッシングされることを恐れ、守れない過剰な規則を設けて、ルール違反が起きたらさらに厳しいルールを作ってしまう。そんな悪循環に陥っているのが現状です」

 こんな有り様では、人々が息苦しさを覚えるのも無理はない。

週刊新潮 2018年10月18日号掲載

特集「過ぎたるは及ばざるがごとし」より

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