田中角栄ゆかり 神楽坂「毘沙門前の花屋」が店仕舞

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 昭和の終わりぐらいまで、花街として隆盛を誇った東京・神楽坂。この街のシンボルで“毘沙門さま”と呼ばれる、善國寺の門前で69年続いた“花屋”が10月3日、住民から惜しまれつつ閉店した。

「義父母が、昭和24年に境内で金魚すくいを始めたのがきっかけでした」

 こう語るのは、“毘沙門前の花屋”の冷岡(ひやおか)愛子さん(75)だ。

「金魚すくいは夏場しか仕事にならず、義父母は花も扱い始めました。その後に義父が倒れたので、私が手伝うことになったのです」

 冷岡さんは運転免許を取り、義母と二人三脚で店を切り盛りしつつ、街の変遷を見つめてきた。

「昔はビルもほとんどなくて料亭が多く、毎週月曜日には料亭の女将さんや飲み屋のママさんたちが、よく花を買いに来てくれました。なかにはアッと驚くようなお客様もいらっしゃいました」

 常連客のなかには、あの田中角栄元総理の“愛妾”もいたという。

「田中さんの“奥様”とお手伝いさんには、贔屓にしていただきました。店に来ると、“庭に柿がなったので召し上がってください”とか、“一度、お茶でも飲みに家に遊びに来てください”と声をかけてくれたりね。本当に気遣いのできる優しい人たちでしたよ」

 雪の日にも、夏の暑さにも負けず、門前で店を開き続けたが、

「毎朝5時に起きて、板橋区の高島平にある市場へ仕入に行き、7時過ぎにはここに着く。そんな生活を45年続けていました。今は主人と一緒に働いていますが、体力的にきつい。実は2、3年前から75歳になったら閉店しようと考えていたのです」

 今後、冷岡さんは少し楽な仕事を見つけて、働き続けたいという。

週刊新潮 2018年10月11日号掲載

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