「鉄の女」はファザコンだった!? 英国初の女性首相サッチャーを鍛えたスパルタ父親
市長に成り上がった父親
アルフは先述のとおり、食料品店の事業が拡大するに伴い、グランサムの政治において重きをなすようになる。戦間期は社会福祉や公共事業などの行政需要の拡大に伴い、地方議会の権限が強化されていった時期で、長年市議会の財政委員会の要職にあり、「グランサムの大蔵大臣」と呼ばれたアルフは市政において大きな影響力を持った。1945年には名誉職ではあるが、市会議員の互選により市長に就任し、文字通り市政の頂点に立った。
地元の名士となったアルフは市議会のみならず、貯蓄銀行の管財人、学校の理事長、商工会議所の会頭やロータリー・クラブの会長など、数々の役職につく。しかし、中でも彼が力をいれたのが教会活動である。
ロバーツ家が親しんだのは、市内フィンキン通りにあるウェスリー派のメソジスト教会で、アルフは長らくこの教会の世話役を務めた。それに留まらず、彼がここで果たした役割として特筆すべきは、メソジストの一つの伝統である「素人説教師(lay preacher)」として度々教会の説教台に立ったことである。アルフは総白髪、身長が180センチを超える偉丈夫であった。教会の演壇の高みから朗々と神の道を説く、彼の姿は見るものに強い印象を与えたはずである。
「人と同じことをやるな」
アルフがこうした説教の中で何を説いたか、今となっては手がかりとなる資料はあまり残されていない。それでもケンブリッジ大学の「サッチャー文書(アーカイブ)」には、サッチャーの子供の頃の学習帳の裏面を利用してアルフが綴った説教の草稿が残っている。 こうした資料から明らかなことは、アルフにとってメソジズムが「個人の責任」の宗教であったことである。 そして、こうした個人的責任を裏打ちするのは宗教的確信の強さであり、この点は、サッチャーが回想する彼の教えと通底している。
「ほかの人がやっているからといって、同じことをやるな」
サッチャーは回想録の中で幼少期を振り返り、ダンスを習いたくなったり、映画に行きたくなったとき、アルフからいつもこう注意されたと記している。後年、彼女は閣僚や官僚との議論の中で、前例や横並びを重視する形式的な主張に対して同じ言葉で反論したとされるので、まさに「三つ子の魂百まで」である。
サッチャーが父から学んだこと
彼女の回想の中で興味深い点は、少女時代に彼女が父親と共有した主たる関心事項は「政治や公共問題に関する知識の追求」だったとしていることである。 このため、2人は毎日デイリー・テレグラフ紙を読むのを日課とし、ノッティンガム大学がグランサムで主催する時事問題に関する公開講座を一緒に聴きに出かけることもあった。また、地方政治家であるアルフの家では日常的に様々な客が訪れ、時々の政治問題について議論が行われており、早熟の次女はその末席で耳を傾けていたに違いない。
このように見てくると、サッチャーが父から学んだことは単なる宗教的教えに止まらず、より深い、全人格的なものであったように思える。アルフがその幅広い活動を通じて示したことは、強固な宗教的確信を教会や家庭の枠に閉じ込めず、政治的、経済的、社会的営みに貫徹させていくことの可能性である。サッチャーが首相として目指した方向性には、アルフがグランサムという小さな都市で実践したことを国家という大きな次元で追求しようとする野心がうかがえるのだ。
ファザコン娘は母親には冷たかった
なお、サッチャーが回想録のみならず、様々な機会をとらえて父親の影響の大きさについて強調する一方で、母ベアトリスについて語ることが少なかったことについては、様々な憶測がある。実際、サッチャーが国会議員になった後のインタビューで、「私は彼女(母)を心から愛していました。でも、15歳になってからは、お互いに言うことがなくなったのです」と答えたことは、率直さを通り越してやや冷酷な感じすら与える。
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