37年前の本誌に“若き天才”として登場 ノーベル賞「本庶佑博士」

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 ついに吉報が届いた。10月1日、京都大学の本庶佑(ほんじょたすく)特別教授(76)がノーベル医学生理学賞を取ったのだ。

「本庶教授の発見をもとに、世界中で使われているがん治療薬オプジーボが開発されたのです」

 と、大手紙の医療担当記者が語る。

「オプジーボは手術でも抗がん剤治療でもなく、患者の免疫を強めてがん細胞を攻撃します。本庶教授は、免疫を強めるために必要なタンパク質『PD-1』を見つけました。がん免疫療法の新たな可能性を切り開いた人物として、受賞は有力視されていたんですよ」

 そんな研究者を、37年前、本誌(「週刊新潮」)は「若き天才」として取り上げていたのでご紹介しよう。

 当時、本庶教授は39歳で大阪大医学部教授。記事ではそれまでの経歴を、

〈京大医学部、同大学院を卒業後、カーネギー財団の奨学生としてアメリカ留学。免疫学を手がけて帰国。東大医学部助手となり、5年後、いきなり阪大教授へ〉

 といった具合に紹介し、助手から一気に教授へと昇格した理由について訊ねている。つまり、どんなことが評価されたのか、だ。これに、本庶教授自身はこう答えている。

「要するに細胞が分化する過程で、抗体の遺伝子の形が変っていき、しかもいらんものを捨てては、新しい形になっていくということに気付いて、その仕組みを研究したわけです」

 この研究論文はアメリカの科学アカデミーの雑誌に発表され、世界的に評価された。難病のひとつである筋ジストロフィーや免疫病の解明にも大いに貢献したという。

 また、記事では、父親が山口大医学部教授で母親も医者の娘であることに触れ、本庶教授自身による、自己評価も載せている。

「私なんか、まあ、頭のいい方なんでしょうけど、一つにはチャンスに恵まれていたこと、運が良かったからだと思うんです。ええ、酒もたくさん飲みますし、ゴルフはハンディ15です。まあ、普通の人間ですよ」

 そんな「若き天才」も喜寿を前に、日本人26人目のノーベル賞受賞者となったのである。

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