変わらない国を変えるために
本は静かなメディアである。テレビやラジオ、あるいはインターネットのように音声で語りかけてくることはない。本は足の遅いメディアでもある。新聞や雑誌、そしてインターネットのような速報性もない。しかし、他のどんなメディアよりも多くの言葉を費やして1つの世界を描き出した本は、ときに必然としか思えないような経緯をたどり、現実を動かすことがある。
2011年10月から2016年4月まで、国連安全保障理事会の「北朝鮮制裁委員会」専門家パネル委員を務めた古川勝久氏のノンフィクション『北朝鮮 核の資金源 「国連捜査」秘録』(新潮社)がまさにそうである。
国連委員として北朝鮮の制裁違反事件を捜査していた古川氏が「制裁の必要性を声高に叫ぶ日本が、制裁を実施できていない」と国際的に指摘するや、日本政府はようやく重い腰を上げた。国連制裁に対応する部署を関係省庁に新設し、制裁関連法制も一部改正したことは周知の通り。さらなる法改正に向けた検討作業は、現在も続いている。
本作は第17回新潮ドキュメント賞の候補に挙げられ、選考委員の池上彰、梯久美子、櫻井よしこ、藤原正彦、保阪正康各氏から「国際社会の現実を知らしめる秀作」と高く評価され、受賞した。初の著作で訴えたかったことは何か、古川氏に話を聞いた。
研究室を飛び出して
わたしは2016年4月まで4年半にわたって、国連の「専門家パネル」という組織にいました。事務総長から任命を受ける、どこにも属さない組織で、国連制裁への違反事件を捜査するのが主な仕事でした。わたしが属したパネルの監視対象は北朝鮮関連でしたが、国連には他にも「イスラム国」やリビアなどに対する制裁の履行状況を監視するパネルもあります。
わたしはもともと安全保障分野を専門とする研究者でした。ハーバード大学ケネディ政治行政大学院で修士号を取得してから、アメリカン・エンタープライズ研究所や外交問題評議会、モントレー国際問題研究所、科学技術振興機構など内外の研究機関で大量破壊兵器の拡散やテロ問題を中心に、研究してきました。とりわけ北朝鮮が核開発を続け、ミサイル能力を向上させていることには強い問題意識を抱いていたのですが、次第に、研究や政策提言だけでなく行動したい、国際社会の現場に飛び込んで深刻化する事態の解決に役立ちたいと思うようになりました。専門家パネルはうってつけの舞台に思え、定員に空きが出ると知って応募しました。専門家パネルの定員は8名。安保理常任理事国から1名ずつと、日本、韓国、南半球から1名ずつという構成です。
顧客をつかんだら放さない北朝鮮
北朝鮮が核実験や弾道ミサイルを発射するたびに、国連安保理は北朝鮮関連のヒト・モノ・カネの動きを制限する制裁決議を何度も採択しました。制裁措置は決議を経るたびに強化されましたが、それでも北朝鮮は変わらず核実験や弾道ミサイル発射実験を繰り返しました。いったいなぜ、そんなことができるのかと不思議に思われた方も多いでしょう。その答えを、わたしは捜査現場で目の当たりにしました。
核兵器やミサイルの開発には資金と技術が不可欠です。技術取得のために、北朝鮮の専門家は中国やロシアなど海外の大学や研究機関に留学して、研究開発や情報収集を堂々と行っていました。驚かれるかもしれませんが、北朝鮮の要員は日本やドイツからも先端的な技術情報を収集しています。
また、資金獲得のために、北朝鮮は石炭や鉄鉱石、金など豊富な天然資源を輸出し、さらにアフリカや中東、東南アジアに対してミサイルを含む兵器を密輸して、それらの補修サービスなども手がけました。北朝鮮の兵器はソ連の旧式デザインがベースですが、今日でも世界には安価な旧ソ連製の兵器に依存する勢力が数多くいます。北朝鮮はそうした「顧客」のニーズをがっちりつかんで、ニッチな兵器市場を独占しています。
こうして北朝鮮は核やミサイルを開発し、試験して性能を確かめたうえでさらに改良するというプロダクト・サイクルを繰り返しつつ、同時に兵器や天然資源を海外に輸出してさらなる開発のための資金を得ていたのです。
「グローバル企業」と同じやり方で
兵器を顧客に届けるための手口も進化させました。何重にも制裁が科せられている状況下では、貨物の中に兵器を隠しても輸送途上で他国に摘発されかねません。そこで彼らは、兵器の「現地生産方式」を始めたのです。部品や原材料を資機材や北朝鮮人技術者とともに顧客のもとに送り込んで、現地で兵器を組み立てる。部品や原材料、資機材のほとんどが市販品なので、こうすれば制裁で定められた禁輸品目リストには「非該当」となり、制裁網を潜り抜けられます。
それでも足がつきそうな貨物は、中国や東南アジアなど、監視の緩い国々に配置した北朝鮮の要員や外国人協力者を経由して目的地に運びます。決済はタックス・ヘイブンに設立したペーパー企業を通じて行います。規制の緩い国々に拠点を設け、それらを結んだ国際ネットワークを運営するわけですから、グローバル企業とやっていることは同じです。
いいかげんな欧米にうんざり
国際社会は一枚岩ではありません。ほとんどの国が北朝鮮への制裁に真剣ではなく、米国から要請を受けた時だけしぶしぶ行動します。「主役」の米国は、他国に対して特定貨物の押収をたびたび要請しますが、その根拠はあまり説明しません。要請を受けた国々は、当該貨物を押収し検査してもなぜそれが制裁違反にあたるのか理由がわからず、結局、貨物を釈放してしまいます。国際社会の歪みから生じた「抜け穴」を北朝鮮は確実に、巧妙に、衝きます。
例えば、北朝鮮がエジプトに輸出していた貨物の中に、スカッド・ミサイル(短距離弾道ミサイル)の部品がありました。米国の要請を受けた某国がこの貨物を検査しましたが、旧式の市販品ばかりで、実際にこのミサイルを扱った知識がなければミサイルとの関連性はわかりません。スカッド・ミサイルの部品の詳細なデータベースなど、どこにも公開されていません。某国は欧米諸国などに助けを求めましたが、どの国も漠然とした情報しか提供せず、確実にスカッド・ミサイルの部品だと特定できない以上、某国の裁判所は貨物押収の許可を出せない状況でした。
結局、某国を助けるために私たちがスカッド・ミサイルの実物を見つけてそれを解体し、貨物の中の部品がミサイルのどこに使用されているか、数カ月間にわたって徹底的に調べ上げました。一般的に、法治国家が貨物を押収するためには、これだけ詳細な情報が必要なのです。こうしてようやく某国が貨物をみすみす見逃すのを阻止できました。欧米のいいかげんな姿勢にはうんざりしましたが、国際協力の実態はこんなものです。後日談ですが、米国務省はこの貨物押収事案を自らの功績として国際会議で発表していたそうです。
日本も「抜け穴」だらけ
北朝鮮と取引する国は中国やロシア以外にもたくさんあります。彼らは「わが国は真摯に国連安保理決議を履行している」と決まり文句を繰り返しますが、実際にはほとんどが制裁違反に加担しています。また、国連加盟国はそろって「北朝鮮の核・ミサイル開発を止める」と言いますが、今日でもほとんどの国々が国連制裁を履行するための法体系や行政システムを整備していません。
「抜け穴」は日本にもあります。たとえば、私たちが摘発した日本人は、北朝鮮最大の海運企業(国連制裁対象に指定)のグローバル・ネットワークの中で長年、重要な役割を果たしていました。彼は東京の中心部にオフィスを構えるかたわらで、海外を舞台に国連制裁違反に加担していたのです。しかし、日本政府はみすみす見逃していました。国外で国連制裁違反を犯した人物を処罰するための法律が日本にはないのです。この問題は現在も対処されていません。
日本国内には北朝鮮関係者が多数います。そもそも日本は2006年頃まで北朝鮮の対外経済活動の拠点でした。その後、北朝鮮との貿易は全面的に禁止されたはずですが、今日も平壌のデパートやスーパーには日本ブランドの製品が大量に陳列されています。日本国内の北朝鮮関係者は、中国や東南アジアなどの拠点を経由して、北朝鮮に日本製品を輸出し続けていますが、ほとんど誰も摘発されません。日本の北朝鮮に対する「最大限の圧力」は、残念ながら、口先だけのようです。
金融制裁、資産凍結も不十分
北朝鮮の密輸ネットワークはかなり以前からグローバル化しています。たとえば、北朝鮮の武器密輸業者は中国に拠点を設けて、欧米や日本から様々な市販品を買い集め、中国からシリアに向けてミサイル関連貨物を密輸していました。この場合、貨物は北朝鮮を経由しません。そこで国連安保理は、国連制裁違反を承知で活動する組織や個人に対しては、外国の企業や協力者も含めて、彼らが世界中どこにいようとも、あらゆる取引を禁止するよう国連加盟国に義務付けています。
しかし、日本では依然、北朝鮮のグローバル・ネットワークのうち、同国内にある組織や個人との取引しか犯罪とみなしません。たとえば、国連制裁違反に加担するシンガポール国内の企業に対して、日本国内の北朝鮮系企業が貨物を輸出しても、それ自体は必ずしも違法とは断定しがたいのです。その後、その貨物がシンガポールから北朝鮮に再輸出されたことを特定してようやく犯罪が成立します。日本の禁輸措置は、他国との貿易促進を主目的とする「外国為替法」に基づいているからですが、グローバル化した北朝鮮の密輸ネットワークに対して、日本の制裁措置は依然、2国間貿易の取り締まりしか想定していないため対応できないのです。他に、金融制裁や資産凍結など、国連で決議された重要な制裁事項も十分に履行できていないのが実情です。
「瀬取り」摘発だけではダメ
2016年4月に帰国したあと、さまざまな機会を捉えて政府高官や国会議員に法制度の整備について働きかけました。その後、ささやかですがいくつか進展がありました。
今年4月、外務省に「国連制裁室」が新設されたのはその1つです。国連の対北朝鮮制裁が始まってから約12年が経過していましたが、ようやく責任部署が外務省に設けられました。
また、内閣官房が主導して制裁のための関係省庁間の協力体制を構築し、洋上での石油製品の受け渡し(いわゆる「瀬取り」)を海上自衛隊が摘発するようになりました。しかし結局、法改正や新規立法はいまだ行われず、一部の政令や省令が改正されただけです。「最大限の圧力」を声高に主張していた政府高官でさえ、「国際法と日本の国内法にはギャップがあるんですよね」と臆面もなく言ってのけ、根本的な解決に向けて動こうとはしませんでした。日本では、法改正をしてまで国連制裁を履行しようとは誰も考えていないようです。
他の国々でも国連制裁の履行に必要な法制度や行政システムの整備は大幅に遅れています。自衛隊はこれまでに約10回、「瀬取り」の現場を摘発しましたが、それらの「瀬取り」に加担した海外の船舶関係者を関係国政府が摘発したとの情報はほとんど聞こえてきません。それもそのはず、「瀬取り」を国内法で違法化した国はほとんどないのです。今も「瀬取り」が続くのは、それに協力する外国企業を国際社会が取り締まらないからです。日本と米国の両政府は「瀬取り」の現場を押さえることばかりに重点を置いていますが、それだけでは全く不十分なのです。
「国連中心主義」という幻想
現在、米朝首脳会談や南北首脳会談などを受けて、国連制裁の完全履行に向けたモメンタムは薄まっているかのようです。しかし、もし北朝鮮の「非核化」プロセスが本格的に始まったとしても、対北朝鮮制裁の履行のために整備した各国内の法律や行政システムが不要になるわけではありません。
国連制裁の中心的措置(密輸や不正金融取引の阻止、違反者に対する処罰や渡航禁止など)は、対北朝鮮制裁だけでなく、大量破壊兵器の不拡散や組織犯罪・テロ対策などのためにも不可欠です。
しかし、国連安保理はアフリカ・中東地域の一部諸国やテロ組織に対しても対北朝鮮と同様の制裁措置を科すよう、加盟国に義務付けていますが、北朝鮮制裁をしっかり履行できない日本の現状では、それらを履行するのは無理です。つまり日本は、これまで国連中心主義を掲げてきたにもかかわらず、国連制裁措置を実行するための基本的なフレームすらまだまだ整備していないということなのです。
米朝交渉の進展、成否にかかわらず、今後、北朝鮮の核・ミサイル計画に対しては長期にわたる監視と取り締まりが必要となるでしょう。もし「対北朝鮮禁輸措置」が解除されようとも、「核・ミサイル不拡散のための輸出規制」は残さねばなりません。北朝鮮の核・ミサイル計画にかかわった組織や個人に対して、取引規制や渡航制限などは継続される必要があります。状況の変化に応じて、日本も法律・行政システムをアップデートしつづけなければならないでしょう。
皮肉にも、制裁に最も真剣に向き合ってきたのは北朝鮮です。制裁の網の目を潜り抜けるためにありとあらゆる手段を講じ、そしていま、核兵器を温存して生き延びようとしています。そのような北朝鮮を時間をかけてでも完全な非核化に導くために、日本と国際社会がなすべきことは山のようにあります。だからといって諦めてはいけない。毎日、一歩でも前に進むため、私なりに行動しつづけるつもりです。
【古川勝久氏略歴】
国連安全保障理事会・北朝鮮制裁委員会(1718委員会)専門家パネル元委員。1966年シンガポール生まれ。1990年慶應義塾大学経済学部卒業。日本鋼管株式会社勤務後、1993年より「平成維新の会」事務局スタッフとして勤務。1998年米国ハーバード大学ケネディ政治行政大学院(国際関係論・安全保障政策)にて修士号取得。1998~99年米国アメリカン・エンタープライズ研究所アジア研究部勤務。1999年読売論壇新人賞優秀賞受賞。2000年より米国外交問題評議会アジア安全保障部研究員、2001年よりモントレー国際問題研究所研究員を経て2004年から2011年まで科学技術振興機構社会技術研究開発センター主任研究員。
【古川氏講演会のお知らせ】
新潮ドキュメント賞受賞記念イベントとして、古川氏と元防衛副大臣の長島昭久代議士の対談イベントを下記の要領で行います。両氏は大学時代から議論をたたかわせてきた関係だけに、歯に衣着せぬ激論にご期待ください。
■日時:10月16日(火)19:00~20:30
■場所:神楽坂「la kagu」2F solo (新宿区矢来町67)
■チケット代:2000円
■詳細、お申し込みはこちらから
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01d8qazth8kh.html
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