「教育勅語」評価の柴山発言は、まったく問題がない

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狙い撃ちされた新米大臣

 第3次安倍内閣で初入閣をした柴山昌彦文科大臣の教育勅語に関する発言が波紋を呼んでいる。「現代風解釈やアレンジした形で、道徳などに使うことができる分野は十分にある」という発言が、一部のメディアや政治家に「問題発言だ」と非難されているのだ。

 実のところ、失言を引き出そうとした質問に不用意に答えて、まんまと相手の術中にはまったというところなのだろう。問題のない発言であっても、恣意的に切り取って問題発言にする気満々な人が一定数いることを大臣は肝に銘じる必要がある。ちなみに共産党の議員の中にはこの一件をもって大臣を「バカ」と罵倒する人まで現れる始末。

 むろん、柴山氏を擁護する向きも少なくない。産経新聞は、今や「反安倍」の旗手となった前川喜平元文科次官が「教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれており、これらの点に着目して活用することは考えられる」と国会で答弁したという事実を示しながら、柴山大臣を援護射撃している。

教育勅語との関連

 柴山発言を問題視する人たちがどこまで知っているかは不明だが、実はそもそもすでに学校で教えられている「特別の教科 道徳」の内容と「教育勅語」にはかなりの共通点がある。
 
 教育評論家の森口朗氏は、新著『誰が「道徳」を殺すのか――徹底検証「特別の教科 道徳」』の中で、教育勅語の徳目12項目が、どれくらい「特別の教科 道徳」と重複しているかを比較検討している。以下、同書をもとに見てみよう。なお、原文のあとの( )内、現代語訳はあえて道徳教育に批判的な作家、高橋源一郎氏の訳をベースとしている。
 
 12項目のうち、現在の道徳教育にほぼ同じ記述があるのは、以下の5項目だ。

 1 父母ニ孝ニ(父母を敬いましょう)
 これについては「父母、祖父母を敬愛し、家族の一員としての自覚をもって充実した家庭生活を築くこと」と現在の教科書にも書かれている。あまり反対する人はいないだろう。

 4 「朋友相信シ」(友だちは信じ合いましょう)
 これは「友情の尊さを理解して心から信頼できる友達をもち、互いに励まし合い、高め合う」となっている。

 6 博愛衆ニ及ホシ(博愛精神を持ちましょう)
「思いやりの心をもって人と接する」「人間愛の精神を深める」「誰に対しても公平に接し,差別や偏見のない社会の実現に努める」「他国を尊重し」他、博愛精神は形を変えてあちこちに散りばめられている。

 8 以テ智能ヲ啓発シ(そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げましょう)
これも「自己の向上を図る」「真実を大切にし,真理を探究して新しいものを生み出そうと努める」といった表現で生かされている。

 10 進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ(公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間になりましょう)
「規律ある安定した社会の実現に努める」「公共の精神をもってよりよい社会の実現に努める」「国家及び社会の形成者として、その発展に努める」等の表現で教科書に書かれている。

 以上の5項目はご覧の通り、ほぼ同じ内容が現在の教科書に生きているのがわかる。また、他にも「5 何をするにも慎み深くいましょう」「7 勉強し、仕事のやり方を習いましょう」「11 憲法を大切にして、法律をやぶるようなことはしてはいけません」という項目も、かなり近い表現が教科書にすでに載っている。

 逆に、ほぼ重なる記述が存在しないのは、
 2 兄弟ニ友ニ(兄弟は仲良くしましょう)
 3 夫婦相和シ(夫婦は喧嘩しないこと)
 9 徳器ヲ成就シ(徳を立派なものにしましょう)
 12 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ(戦争が起こったら、勇気を持ち、公のために奉仕してください)
 の4項目に過ぎない。

 文科大臣が教科書を否定するわけにもいかないので、こうして改めてチェックすると、柴山大臣の発言は現状を追認しているに過ぎないとも言えるだろう。

 なお、いくら相手の発言が気に入らなくても「バカ」などと簡単に言うことは、道徳的な振る舞いとは言えない。それは教育勅語の時代も、平成の世でも共通の常識ではないか

デイリー新潮編集部

2018年10月9日掲載

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