日本は「迷走」世界は「推進」する「HPVワクチン」の現状
ヒトパピローマウイルス(HPV)は子宮頸がんを起こす。HPV感染を予防するためのワクチンが開発され、2009年にわが国でも承認された。2010年には公費接種の対象に加えられ、2013年の予防接種法改正では法定接種に追加された。
ところが、接種後に疼痛などの訴えが続発し、厚労省は2013年6月、「積極的な接種勧奨を差し控え」を通達した。先立つ3月には全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会が組織され、2016年に集団訴訟が提訴された。
その後、HPVワクチンの取り扱いについて、わが国は迷走する。詳細は2016年4月7日に筆者が紹介したとおりだ(「『子宮頸がんワクチン訴訟』で明らかになった『情報』と『制度』の不足」)。
「副反応報道」をなかったことにする『朝日』
この記事から2年半が経過するが、状況は変わらない。むしろ、ますます悪化したと言っていい。それは、HPVワクチンの記事がばったりと減ってしまったからだ。新聞記事のデータベースである「日経テレコン」を用いて調べたところ、『朝日新聞』が過去1年間に掲載した「HPVワクチン」か「子宮頸がんワクチン」を含む記事は、わずかに10件だった。副反応が話題となった2013年の58件の5分の1以下だ。一連のあの報道は何だったのだろう。
知人の『朝日新聞』記者は「村中璃子さんの記事を掲載したことで、すでに方向転換し、副反応を大袈裟に騒いだのはなかったことになっています」という。
村中さんの記事とは、『朝日新聞』が2017年12月19日に掲載した、英科学誌『ネイチャー』などが主催するジョン・マドックス賞を受賞したことを報じたものだ。村中氏は、一貫して、HPVワクチンの副反応騒動は医学的な根拠がなく、一部の活動家や研究者の影響を受けていると主張してきた。権威ある『ネイチャー』の編集部が彼女を表彰したということは、世界の科学界は村中氏の主張を支持したことを意味する。HPVの副反応を強調し続けた『朝日新聞』の報道は適切でなかったと言っていい。
人は誰しも間違える。副作用が疑われた際、マスコミが被害者の視点で報じるのは当然だ。ただ、当初の報道が不適切と分かったら、頬被りしてはいけない。医学研究は日進月歩だ。正確な情報を国民に伝えねば、国民が医学の進歩の恩恵を享受する機会を奪ってしまう。HPVワクチンを打つべきか、打たざるべきか、決めるのは国民だ。そのためには、国民に正確な情報を提示しなければならない。それができるのはメディアだけだ。本稿では、『フォーサイト』というメディアの場をお借りして、HPVワクチンの研究の現状をご紹介したい。
高い予防効果
まずは有効性だ。2011年6月、オーストラリアの研究者たちは、英国の医学誌『ランセット』に、4価のHPVワクチンであるガーダシルの接種プログラムの導入後2年で、18歳未満の女性から、前癌病変である高度異形成が38%低下したと報告した。
2014年3月には、同じくオーストラリアのグループが英国の医学誌『BMJ』に続報を発表し、高度異形成を46%減らしたと報告した。
前癌病変である異形成の発症を抑制することについては、カナダなど他の国からも報告されており、医学的なコンセンサスといっていい。
一方、HPVワクチンの接種プログラムが導入されてからまだ10年程度しか経っていない現在、子宮頸がんの予防効果についてのコンセンサスはない。ただ今年1月、フィンランドの研究者が、14~19歳の約2万7000人を7年間フォローしたところ、子宮頸がんの発症率はワクチン非接種群で10万人あたり6.4人だったが、接種群では0だったと『International Journal of Cancer』誌に報告した。今後、子宮頸がんの予防効果については、他のグループからも報告されるだろう。その結果も踏まえ、近いうちにコンセンサスが形成されると考えている。
集団免疫にも持続感染にも有効
では、HPVワクチンは社会に、どのような影響を与えるだろうか。麻疹や風疹に対するワクチンは、ワクチン接種を推奨することで、集団内の感染率を低下させ、接種していない人の感染のリスクを低下させることが知られている。この現象を集団免疫と呼ぶ。
HPVは性感染症なのだが、HPVワクチンの集団免疫効果はどうだろうか。これについても、研究が進んでいる。
2012年7月、米シンシナティ小児病院の研究者たちが、HPVワクチンがカバーするHPV-6、-11、 -16、-18の感染率が、ワクチン接種者で69%、非接種者で49%減少したと報告した。HPVワクチンの集団免疫効果を示した初めての研究だった。
2016年9月には続報が米国の『Clinical Infectious Disease』誌に報告され、HPVワクチンの接種率が7割を超えたシンシナティでは、ワクチン接種者の感染率は91%、非接種者の感染率は32%低下していたことが確認された。
さらに同様の研究結果は、別の研究グループからも報告されている。2016年2月、米国の疾病予防センター(CDC)の研究者たちは、接種プログラムが導入された2006年から6年間の、米国の14歳から19歳の女性におけるワクチンがカバーするタイプのHPV感染率は、ワクチン接種者で64%、非接種者で34%低下していたと報告した。複数のグループから一致する結果が報告され、ワクチンの集団免疫効果は裏付けられた。
接種時期に関する研究も進んでいる。HPVワクチンが、性交歴のある女性にも効くのかどうかという点については、まだコンセンサスはない。だが2014年9月には、オーストラリアの研究者が、HPVワクチンが25歳以上の女性にも有効であることを示した。その年代の多くの女性には性交歴があるため、持続感染への抵抗効果、あるいは再感染を予防する可能性が示唆されたのだ。
HPVワクチンが初めて承認されたのは2006年6月、米国においてのことだ。米メルク社の4価ワクチンであるガーダシルが承認された。当時の接種対象は9歳~26歳の女性だったが、一連の研究を受けて、米食品医薬品局(FDA)は27歳~45歳の女性に適応を拡大した。
HPVワクチンの効果の持続性についても、研究は進んでいる。2017年11月、米国の研究者たちは米メルク社の治験の最終解析結果を発表し、接種者の8割以上で抗体が維持されており、効果は10年以上持続していることを確認した。かくのごとく、HPVワクチンの有効性に関する研究結果は世界各地から報告されている。
「世界標準」が日本では未承認
HPVワクチン研究を進める原動力は、製薬企業間の競争だ。当初、HPVワクチンは米メルク社のガーダシル(4価)と英グラクソ・スミスクライン社のサーバリックス(2価)が存在した。
日本では2009年にサーバリックス、2011年にガーダシルが承認され、サーバリックスが先行したが、カバーするタイプが多いこともあり、海外ではガーダシルが支持された。
2011年11月、英国政府は12歳~13歳の女児の定期接種に用いるHPVワクチンを、サーバリックスからガーダシルに変更すると発表した。サーバリックスを販売するグラクソ・スミスクラインは英国の企業だ。この判断は世界を驚かせた。
両社の競争にケリをつけたのは、2014年12月に米FDAが9価のガーダシルを承認したことだ。従来の4つの型に加え、HPV-31、 -33、-45、-52、-58をカバーするようになった。従来の4価ワクチンがカバーするのは子宮頸がん全体の7割だったのが、9割に増えた。
さらに2015年3月、米CDCの諮問委員会がガーダシル9の使用を推奨し、2016年10月にはグラクソ・スミスクラインが米国でのサーバリックスの販売を停止した。ガーダシル9は世界標準のHPVワクチンとしての評価を確立した。もっとも、日本では未承認である。
様々ながんにHPVが関係
HPVワクチンの研究が進んでいるのは子宮頸がんだけではない。肛門がん、陰茎がん、膣がん、外陰がん、頭頸部がんの一部はHPVが原因であることがわかっており、このようながんに対しても研究が進んでいる。
特に注目されているのは頭頸部がんだ。2011年10月に米国がん研究所の研究者が、1984年から2004年の間に収集した271の中咽頭がんのサンプルを調べたところ、HPVに感染していたのは、1984年~89年は16%だったのに、2000年~04年は72%に増加していたと報告した。
2012年1月には米オハイオ州立大学の研究者たちが、14歳~69歳の健常男女5579人を対象に口腔内のHPVの感染状況を調べたところ、感染率は10.1%だったと報告した。これは女性の3.6%より統計的に有意に高かった。
頭頸部がんは男性に多い癌だ。これまで喫煙との関係が指摘されていたが、近年、喫煙率は低下傾向にある。現状はむしろ、HPVの影響が顕在化したのかもしれない。専門家たちは、いまや全世界の頭頸部がんの7~9割はHPVによると考えている。
HPVと関連するがんは、これだけではなさそうだ。2011年には世界保健機関(WHO)の一機関である国際がん研究機関(IARC)が、肺がんとHPV感染の関係を、2013年にはオーストラリアの研究者が食道がんとHPV感染の関係を報告した。因果関係は確立していないが、研究者はHPV感染が多くのがんの発症に関係していると考えている。
接種率向上が課題
当然だが、このようながんに対してもHPVワクチンによる予防が試みられている。
2011年10月には米メルク社は、男性同性愛者を対象にガーダシルの肛門がん(上皮内腫瘍)の予防効果を検討した研究結果を、世界最高峰の米国『ニューイングランド医学誌』に報告した。この研究によると、ガーダシル投与により、肛門がんは半減していた。
頭頸部がんに関しては、いまだ確定的なデータはないが、2015年5月にオランダの研究者たちが、女児とともに男児にもHPVワクチンを接種することで、男性の頭頸部がんなどで蒙る逸失利益(本文ではQALYsという指標を用いている)を37%低下させることが出来ると報告した。
このような研究成果を世界の医学界は積極的に社会に訴え、一部は政策に反映されている。
例えば、2011年10月に米国CDCの諮問委員会が、2012年2月には米国小児科学会が、男児・男性にもガーダシルの接種を推奨することを公表した。米国では男児もガーダシル接種の対象に含まれている。
米国での現在の問題は接種率が低いことだ。2015年7月、『米国医師会誌』はプリンストン大学の研究者の報告を掲載した。彼らは、米国でHPVワクチンの接種を義務づけているのはワシントン特別区と2州だけであること、接種率は目標の80%を大幅に下回り、3回接種を済ませている思春期の女児は38%、男児は14%に過ぎないと指摘した。
この状況を受けて、小児科や感染症の専門誌では近年、どうすればHPVワクチン接種率を高めることができるかという研究が数多く紹介されている。
例えば、2016年12月、米ノースカロライナ大学の研究者たちは、HPVワクチンの接種率を向上させるには、医師が保護者に、その必要性をはっきりと説明することが有用であると報告している。HPVワクチンに関する議論がタブー視され、接種率がほぼゼロの日本とは雲泥の差である。
世界機関が安全性にお墨付きだが
では、マスコミが喧伝し、多くの国民が関心を抱く副作用についてはどうなっているだろう。こちらについても、数多くの研究成果が報告されている。
まずは2012年10月に、米国の医療保険会社であるカイザー・パーマネンテの医師たちが、約19万人の若年女性がガーダシルを接種後に救急外来を受診、あるいは入院したかを調べたが、特に大きな問題はなかったと小児科専門誌に報告した。
同月には、同じくカイザー・パーマネンテの医師たちが、HPVワクチンは接種した女児たちの性行動に特に影響を与えなかったことを、小児科専門誌に発表している。
さらに2013年10月には、スウェーデンの研究者たちが英国の医学誌『BMJ』に、HPVワクチンが自己免疫疾患、神経疾患、静脈血栓症を増加させなかったこと、2014年6月にはデンマークの研究者たちが『米国医師会誌』に、深部静脈血栓症を増加させなかったこと、2015年9月には米国国立衛生研究所の研究者たちが英『BMJ』誌に、妊娠に悪影響を与えないことを報告している。
こうした一連の研究を受け、2013年6月には、WHOの諮問機関である「ワクチンの安全性に関する諮問委員会」が「HPVワクチンは世界で1億7000万回超が販売されており、多くの国で接種されている。市販製品の安全性に懸念はないことを再確認した」と総括している。
このような見解を述べたのは、WHOだけではない。2015年11月には、欧州医薬品庁(EMA)が、HPVワクチンは安全であるとの声明を出している。この声明の中で、“Review concludes evidence does not support that HPV vaccines cause CRPS or POTS”という強い論調で副作用の懸念を否定している。“CRPS or POTS”とは日本の医師たちが指摘したHPVワクチンの副作用のことだが、WHOは日本でのワクチン騒動を意識して、それを否定する声明を発表したわけだ。ところが日本のメディアは、この声明を取り上げなかった。
以上、わが国でのHPVワクチン騒動以降の世界での研究の動きを紹介した。勿論、どんなワクチンにも副作用はある。わが国の接種者の一部に重大な副作用が生じた可能性は否定出来ない。ただ、ワクチン接種の是非を議論する際に重要なのは、効果と副作用を冷静に天秤にかけることだ。その際には正確な情報が欠かせない。日本のメディアは、その役割を完全に放棄している。本稿がその一助になれば幸いである。
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