“年間401奪三振”から半世紀 江夏豊が明かす「王貞治との対決で金字塔達成」にこだわったワケ
まだタイ記録やぞ
〈その年の阪神は首位を走る巨人に必死に食らいついていた。巨人にわずか2ゲーム差の2位につけ、9月17日からの直接対決の4連戦を迎える。江夏氏は初戦に先発した。〉
実は、稲尾さんの奪三振数は知らなかったんです。記録達成間近になるにつれ、意識するようになり、王さんからの三振で更新すると公言していました。
〈記録まで八つに迫っていた甲子園球場での試合当日、巨人は3番に王が入り、4番は長嶋だった。〉
1回、2回、3回にそれぞれ2三振を取っていき、いよいよ4回表。王さんから三振を奪って、「新記録だ、よっしゃ」とベンチに戻ると捕手のダンプさん(辻恭彦氏)から「豊、まだタイ記録やぞ」と言われたんです。えっ!とびっくりしましたね。そう、三振の数を一つ、計算違いしていました。これは困った。普通なら考えられないけど、王さんから三振を取って記録を達成すると公言した以上、一巡させ、再び対戦するしかない、と。だけども、巨人打線には7番の森昌彦(祇晶=まさあき=)さんや8番で相手ピッチャーの高橋一三さんら三振を取りやすいバッターもいました。何とかバットに当ててくれと祈りながら、投げていました。バットを短く持って打席に入った長嶋さんはセンターフライ。森さんや高橋さんも何とか、打ち取りました。
そして、7回表。再び王さんに打席が回ってきました。王さんは僕の8歳上。この若造が、という思いもあったと思います。球場からヤジは一切ありません。王さんから三振を奪いたいというのをファンも暗黙のうちに分かっていたのでしょう。阪神ファンは江夏の奪三振を、巨人ファンは王さんのバッティングを注視していました。
〈2ストライク1ボールからの4球目。ボール気味の外角高めストレートで空振り三振を奪った。〉
今みたいに記録達成の花束もないし、それほどの騒ぎなんてないですよ。結局、その試合は延長12回までもつれ込んで、僕がライト前にサヨナラヒットを打つという幕切れでした。
有難かったのは、王さんがフルスイングで勝負してくれたことです。決して、球に当てにいくようなことはしませんでした。868本というホームラン記録だけではなくて、そういう姿勢が本当に尊敬すべきバッターだった。ですから、僕も一番自信のある球で真向勝負。カーブを放れ、と言われても投げたくなかったですから。
〈もっとも、真向勝負で敗れたこともある。昭和46年(1971年)の9月15日の巨人戦では、9回表にランナーを2人置いて、王と対戦した。〉
それまで3三振の王さんにストレートで勝負して、逆転3ランを浴びました。あの時、捕手のダンプさんから2度も「豊、カーブを放れ」と言われたのですが、やはり、直球で勝負したかった。あれは、王さんが打ったホームランの中で特に印象に残っています。
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