本誌が聞いた入院直後の肉声は… 樹木希林が本木雅弘に託した死に場所
「全身がん」公表から5年、樹木希林(享年75)が15日未明、帰らぬ人となった。一時は治療の成果でがんが“消えた”とされ、「死ぬ死ぬ詐欺」などとユーモラスに自嘲していた個性派女優は「おくりびと」でもある娘婿の本木雅弘に、ある“遺言”を託していた――。
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「数日前に骨折して、いま集中治療室にいるんです。特別に許可を貰って、電話を持ち込んでいるんですけどね……」
樹木はさる8月13日、知人宅の階段で転倒し、左大腿骨を骨折。入院して2日後に手術を受けていた。同月30日には本木が、
〈がんの影響で肺のあたりが弱っていて、一時は危篤状態だった〉
と明かすなど、容体が危ぶまれる中、9月15日午前2時45分に息を引き取った。一家の事情を知る、さる関係者が明かす。
「入院していた希林さんは、前日の14日になって自宅へ戻っています。そのまま、家族に看取られながら旅立ったのです」
16日には近親者のみで通夜が営まれ、
「棺に入った希林さんの周りに、本木さんと也哉子さん、そして3人の孫が集まり、5人で食事をしながらお別れの時を過ごしていました。別居が続いていた夫の内田裕也さんは17日の出棺こそ立ち会いませんでしたが、直後に火葬場で希林さんと“最後の対面”を果たし、お骨を拾っていました」(同)
冒頭の肉声は、先月入院した直後、本誌(「週刊新潮」)が樹木とやり取りした際に発せられたものである。普段の軽妙な口ぶりとは打って変わり、消え入りそうなかすれ声で言葉を絞り出すように話していたのが印象的だった。
「樹木さんは、風貌からしてヒロイン女優というより作品の味付けのような役回りでしたが、がんを公表してからは自然体で生きる姿が演技にも表れていました」
とは、映画評論家の北川れい子氏である。
「スターが老けると、通常は綺麗に映ることばかり考えるものですが、彼女は自らの老いをそのまま演技に乗せていた。“女優史”を変えたとも言えるでしょう」
そんな樹木が「全身がん」を公表したのは、2013年3月8日、日本アカデミー賞の授賞式の場であった。
「『わが母の記』で最優秀主演女優賞に輝いた樹木が、受賞スピーチで『これ頂くと、来年司会でしょ。あたし冗談じゃなく全身がんなので、来年の仕事、約束できないんですよ』と挨拶したものだから、会場は水を打ったように静まり返ってしまったのです」(スポーツ紙記者)
あらためて振り返ると、樹木と病魔との関わりは04年夏の「乳がん」に遡る。翌年1月には右乳房の全摘出手術を受けるものの、07年には同じ右胸に再発。その後も腸や副腎、脊髄などに転移し、治療は全身で30カ所に及んだという。その間、彼女はもっぱら鹿児島の医院で「4次元ピンポイント照射療法」を受けてきたのだった。
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