「大坂なおみ」一家の物語 祖父と母親の“断絶”と“和解”

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“一家の恥”

 このように、大坂家のルーツの地では知られていない両親の馴(な)れ初(そ)めとその後について、根室の人に代わって、目下の「なおみ一家」の拠点である米国のニューヨーク・タイムズ(8月23日付)がこう報じている。

〈札幌に外国人が目立ち始めた1990年頃、環はニューヨークから来たハンサムな大学生と出会う〉

〈ふたり(環さんとフランソワ氏)は環の両親に内緒で恋仲となり、数年間関係を続けた。/環は振り返る。/「私が20代の前半だった頃、父親にお見合いを勧められました」そこで、自分には決めた人――外国人であり、なおかつ黒人――がいることを打ち明けると、彼女の父は、一家の恥だと怒り狂った〉

〈環とフランソワは大阪に移り住み、仕事を見つけた。環は10年以上も実家の両親と関わりを持たなかった〉

 本土最東端の地である根室に根を張る鉄夫さんにしてみれば、我が娘から、いきなり黒人のカレシを紹介されても、「はい、そうですか」とは言えなかったのだろう。

 やはり根室に住む鉄夫さんの兄が証言する。

「ふたり(環さんとフランソワ氏)は結婚式を挙げていないんじゃないかな。私は出席していないね」

 また、前出とは別の近隣住民は、

「根室に黒人? いないねえ。ロシア人や中国人はいるけどさ。やっぱり黒人の婿を迎えるのは難しいでしょうね」

 と、鉄夫さんに「理解」を示し、さらに根室漁協の組合員もこう首を捻(ひね)る。

「組合長から(環さん夫婦のことなど)プライベートな話は聞いたことがない」

 いずれにせよ、鉄夫さんにとって「黒人の娘婿」は複雑な存在で、簡単に受け入れられるものではなかったことは間違いなさそうだ。この娘夫婦との断絶を、鉄夫さんが「そんなこと」という奥歯に物が挟まった言い方以上には語ろうとしないのも頷ける。

 だが幸いなことに、鉄夫さんと環さんの間を取り持つ人物がいた。

「10年くらい前、鉄夫に『今の時代、肌の色だとか、何人(なにじん)だとか、関係ないんじゃないかな』と言ったことがある。弟は『そうか』と聞き入れてくれたみたいだったね」(前出の鉄夫さんの兄)

 兄の助言が奏功したのか、大坂が12歳の頃から、鉄夫さんは日本で行われる彼女の試合をわざわざ福岡県の久留米にまで足を運んで観戦するようになり、一家は「雪解け」へと向かっていった。

 かつては「没交渉」だった鉄夫さんと大坂も、今では時折食事をともにし、プレゼントを贈り、優勝報告の連絡を取り合うような親密な関係となっている。

 鉄夫さんが再び語る。

「今年の春、環はそれまでしていたテニスとは関係のない仕事を辞めて、なおみに付き添うようになった。母親が近くで見ていてくれるから、なおみは安心したんだろうな。それで強くなって、全米オープンでも勝てたんだと思うよ」

 昔は「一家の恥」扱いしていたという環さんの「功績」を、今にしてこう認めるのだった。

「復活」した大坂家の絆。そして、一度は祖父と疎遠になった母親に見守られ、四大大会を制覇した大坂なおみ。かつての「困難」を克服した上でのファミリーの結束が、この度の偉業に大きく貢献したのである。

 最後に三度(みたび)、鉄夫さんの言葉を紹介する。

「なおみが根室に来たらカニやサンマを食べてもらいたいな。ギンガレイの西京漬けもいいね」

 北海道の名産である脂が乗った白身魚のギンガレイ。祖父と母親に支えられた大坂も、今まさにテニス選手として脂が乗り「旬」を迎えつつある。

週刊新潮 2018年9月27日号掲載

特集「グランパは『根室漁協』の大物! 『大坂なおみ』祖父が『娘夫婦』と和解するまで」より

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