私の『大家さんと僕』(中川淳一郎)
矢部太郎さんの『大家さんと僕』が話題なので、私も印象に残る大家について書いてみます。最初の大家は1998年、東京・恵比寿のマンションの最上階に住むメガネのお爺さんでした。不動産屋からは「新しい住人は必ず挨拶に行かなくてはいけない」と言われ、彼の部屋を訪れたところ、「とにかく家賃の振込みは絶対に遅れるんじゃねーぞ! もしも住み続けたいんだったらな」と恫喝されました。
元々この部屋には恋人でもなんでもない女性と2人で住むことになっていたのですが、不動産屋からは「大家さんが頭の固い人なので、『妻』ってことにしてください」と言われ、彼女と一緒に挨拶に行きました。この爺さん、最初の恫喝後も「だいたいねぇ、若い夫婦なんてものは、経済観念がなってないから、家賃も滞納したりして本当に困ったものだ、ネチネチ」的展開になりました。しかしながら我々は単なる友人なわけで、途中から「怒られる若夫婦」役の面白さがじわじわ出てきて「あなた、ちゃんと家賃払うのよ」「そうだな、大家さんに迷惑をかけてはダメだからな、お前」みたいなプレイを彼女と始め、終わった後は2人で大爆笑。以後、「あなた」「お前」なんてやり取りで遊ぶようになりました。
ある時、家賃の振込みが15時以降になってしまいました。当然、当日支払ったことにはならず、その晩、酔っ払った彼から「この野郎、振り込まれてねーぞ!」と電話で怒られ、解約を決意しました。
次の大家は、2001年、無職になった時の、東京・渋谷から徒歩15分の築50年ボロアパートの70代女性です。風呂のない、家賃3万円のアパートだったのですが、丁度私が借りる頃に近所の銭湯が廃業することになり、銭湯の存続運動で私は闘ってる!と熱弁を振るわれました。
このお婆さん、とにかく謎なんですよ。彼女はアパートの隣の一軒家で一人暮らしをしていたのですが、平日は毎日14時になるとスーツを着た70代ぐらいの男性がやってくるのです。軽自動車でアパートの前に乗り付け駐車し、彼女の家へ。そして毎回16時ピッタリに帰っていくのです。Hな想像をしてしまいます。
次の大家は2002年、東京・駒場の巨大な家の一部をアパートとして貸していた80代の女性です。昔は美人だったと思われますが、なにかとモノをくれる。窓を開けていたら「中川さーん!」と声がして、「はーい」と大家さんの部屋のドアを開けると「あのね、いなり寿司ね、あるの。あなた食べる?」と食事を与えてくれました。
また、その家にはアパートの部屋が三つあり、ネズミ講をやっている女性も住んでいました。
大家さんは、「あなたさ、ネズミ講に誘われてない? ごめんね、誘われたら」と優しくしてくれ、またいなり寿司をくれるのです。彼女が着用していたのは常に紫のワンピース。それで近所では「紫夫人」と呼ばれていました。
家賃は本来9万5千円だったのですが、特別に8万2千円にしてくれて「他の住人に絶対言わないでね」と口止めをされたことも思い出します。「紫夫人」を除き、大家さんとは特にいい思い出がないので、矢部さんが羨ましいです。