原爆はアメリカ・イギリス・カナダの共同プロジェクトだった 教科書が絶対に教えない「原爆の真実」
広島・長崎を忘れるな
先月末、アメリカのワシントンポスト紙が伝えたところによれば、トランプ米大統領は、安倍晋三総理大臣に対して、日米首脳会談の場において「真珠湾攻撃を忘れないぞ」と口にしたという。
その言葉の真意については、さまざまな解釈があるにせよ、わざわざ同盟国のトップに対してかつての戦争の話を持ち出すのは穏やかではない。
そして、そのように言われたら即座に「我々も広島・長崎を忘れていませんよ」と言い返してほしい――そう願う日本人は少なからず存在しているのではないだろうか。
もっとも、広島の原爆死没者慰霊碑の有名な言葉「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」に代表されるように、原爆投下に関しては、日本側にも非があった、と捉えている日本人もまた少なからず存在している。
「とっくに白旗をあげてよかった状況だったのに、軍が抵抗しつづけたから、アメリカが開発した原爆を投下したのだ。戦争終結のためには仕方が無い。そもそも日本が間違った戦争をしかけたのが原因だ」
こういう歴史観はアメリカの主張とも重なるうえ、戦前の日本を全否定する立場とも相性が良い。そのため多くの書物やテレビで主流を占めている。ここまで直接的な表現ではないにせよ、教科書などもこうした見方に近い歴史観で書かれていると言っていいだろう。
もっとも、資料をもとに検証してみると、こうした歴史観は完全に間違っていることがわかる。公文書研究の第一人者である有馬哲夫・早稲田大学教授は、新著『原爆 私たちは何も知らなかった』の中で、日本人の多くが知らない歴史の事実を明らかにしている。
その代表的なポイントをまとめると、たとえば以下の通りとなる。
(1)原爆はアメリカの単独開発ではなく、イギリス、カナダとの共同開発である。
(2)原爆の投下はアメリカだけで決められるものではなく、イギリス、カナダも同意していた。
(3)原爆を大量殺戮兵器として使う必要はなかった。
(4)科学者たちは投下前から核拡散を憂慮して手を打とうとしたが、アメリカやイギリスの政治家たちがそれを無視した。
まず、(1)と(2)について同書をもとに見ていこう(以下、引用はすべて『原爆 私たちは何も知らなかった』より)。
国際プロジェクトとしての原爆開発
原爆を作ったのは誰か。日本人は「アメリカが原爆を作った」イコール「アメリカ人が原爆を作った」と受け止めがちだが、そうではない。そもそもの話をすれば、原子力を爆弾に用いるというアイディアが最初に登場したのはイギリスである。
そして関わった科学者の国籍も実に多彩だ。オーストラリア人、ニュージーランド生まれのイギリス人、フランス人、スイス人、イタリア人等々。ちなみに有名なロバート・オッペンハイマー博士はドイツ系ユダヤ人2世だ。
イギリスやアメリカは、ドイツが連合国よりも先に驚異的な威力を持つ新兵器、すなわち原爆の開発に成功することを怖れており、対抗上自分たちも開発をしなければならないと考えた。ここで注目すべきは、あくまでも彼らの頭にあったのは、ドイツであって日本ではない点、また「対抗上」といういわば「抑止論」の立場から開発しようとしていた点だ、と有馬氏は指摘している。
「アメリカはいまでも『戦争終結を早めるために』あるいは『数十万の日米の将兵の命を救うために』原爆を使ったといいます。レトリックは巧みですが、要するに、これは『攻撃論』です。相手に甚大な被害を与え、大量殺戮し、戦意を喪失させ、戦争継続をあきらめさせるということです。これによって、戦争終結が早まり、それによって数十万の日米の将兵の命が救われるという考え方です。
これは原爆開発に携わった科学者たちの論理ではありませんでした。それに彼らのほとんどは、ドイツが原爆を持ち、永久にヨーロッパを支配することを恐れていました。ドイツの原爆の使用を抑止するために、あるいは対抗するために、連合国側は原爆を持つべきだと考えたのです。(略)
残念ながら、当時の日本は原爆を作れる国とはみなされていませんでした。技術もなかったのですが、それ以上に資源がなかったからです」
この資源が、カナダが原爆開発という国際プロジェクトに関わる理由でもあった。
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