面倒くさいから独りで逝きたいわよ――「樹木希林さん」が本誌に語った死生観
9月15日に亡くなった樹木希林さん(享年75)が“全身がん”であると明かしたのは、2013年の「日本アカデミー賞授賞式」のスピーチの場だった。以下は、当時、樹木さんが「週刊新潮」に独占告白の形で答えたインタビューの追悼再掲載である。(以下は13年3月21日号掲載のもの)
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う~ん、まずいのよね。あたしにもいろんなしがらみがあってさ。この話、みなさんにお断りしてるのよ。お宅にだけ喋ると他の人に悪いじゃない。あの人には喋ってあの人には断ったっていうんじゃさ、あたしだって表を歩けないのよ。だからさ、これはまずキチンと書いておいてよ。あたしはお宅にもちゃんと断ったんだからね。でもまあ、記者の人たちを集めて言うほどのことでもないしね。だってあたし、なんと言っても、ず~っとがんなんだから。うふふふ……。
〈邦画界最大の祭典『日本アカデミー賞』。今月8日に行われたその第36回授賞式は、あの沢尻エリカ(26)が昨年7月の主演作『ヘルタースケルター』の舞台挨拶以来約8カ月ぶりに公の場に登場することもあって、例年になく関心が高まっていた。
だが、何より注目を集めたのは、『わが母の記』で5年ぶり2度目、史上最年長の最優秀主演女優賞に輝いた樹木希林のスピーチだった。
「これいただくと、来年司会でしょ。あたし、冗談じゃなく全身がんなので、来年の仕事、約束できないんですよ」――。
それまでの華やぎから打って変わり、一瞬静まり返る会場。そして俄かにざわめきが広がる。
「まあ、あたしは実の(賞金の)振り込みだけでいいんで、栄誉は吉永さんとかエリカさまにね」
同じ優秀主演女優賞の吉永小百合(67)や沢尻を引き合いにそう続いたスピーチでようやく会場の雰囲気も和らぎ、みな安心したように笑い始める。樹木一流のジョークかと受け止められたのだ。が、授賞式後の囲み会見でも「医者が2軒そう言うんだから間違いない。検査に行くとすぐまた見つかるから嫌なのよ」と重ねて“全身がん”の事実を認めたため、たちまち芸能マスコミは騒然となった。
そんな彼女に改めて発言の真意と死生観について尋ねたところ、冒頭の“断り”に続けて、淡々と語り始めたのである。〉
ほんとはね、あの授賞式で話したことがすべてだったの。あれで終り。だって、ほんとに来年の司会をやらなきゃならないからさ、断る理由がないじゃないですか、それぐらいしか。ただね、あたしの話を聞いてね、いまがん治療をやってる人たちに誤解が生じちゃうとしたら、それはよくないわよね。(授賞式後の会見で)治療をしてない、こういうときは治療に専念しないのって言ったのも、あれもあくまでもあたしの場合だからね。人それぞれなんだから、それをそのまま真似されても困るじゃないの。でもね、いま治療してる人たちはね、本当に可哀相でさ。みんな可哀相じゃない。何て言うか、本当に医者次第でしょ。しかもその医者ってのがその人の縁で決まっちゃうわけだからねえ……。
〈樹木が最初にがんを患ったのは、すでに知られているように2004年の秋、乳がんだった。そして翌年、右乳房の全摘出手術を行う。入院は極秘だったが漏れ伝わったため、気丈にも手術4日後に一時帰宅して記者会見を開き、自ら明かしたのだった〉
あの手術のあとに転移しましてね。それを言われたのは、もういまから5年くらい前になるかな。転移したところは一応、ピンポイントの放射線照射で治療しました。だけどその後、医者から「あなたはもう“全身がん”だから、この後もいつどこへ出て(発症して)も不思議はないですよ」って言われた。そういうことです。だから、まあずっと“全身がん”なんですよ。
〈当時の転移は腸や副腎、脊椎にまで広がり、治療箇所は13にも及んだという。しかも、
「一般的には、がんが転移した場合は完治できません。それに、歳を取っていても進行が遅いわけではない」(東京慈恵会医科大学葛飾医療センターの吉田和彦副院長)
と深刻な状況なのだ〉
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