「さくらももこさん」の命を奪った「乳がん」に打ち克つ知恵――4つのタイプ、その治療法
「さくらももこさん」の命を奪った「乳がん」に打ち克つ知恵(1/2)
8月15日、漫画家のさくらももこさんが亡くなった。享年53。国民的アニメ「ちびまる子ちゃん」の生みの親の命を奪った乳がんは、女性のがんでは罹患率トップである。予防から超早期発見術、タイプごとの治療法まで――知っておくべき「乳がん全情報」。
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さくらももこさんは長男が小学生になるまで、自分がさくらももこだと明かさなかった。そのことは、彼女の訃報を伝えるスポーツ紙の記事でも触れられていたのでご存じの方もいるだろうが、さくらさんの著書『さくらえび』(新潮文庫)では、次のようなエピソードが明かされている。
ある日、保育園児だったさくらさんの長男が、さくらももこと電話で話がしたい、と言い出した。対応に困ったさくらさんは、手紙を書くことを提案する。
〈息子は「さくらももこせんせい いつもまるこをみてます」と、いっしょうけんめい書いていた。それを見ながら私は“さくらももこさんは、キミがいつもちびまる子ちゃんをみていることもよーく知ってるよ…”と思いながらも、なんかすごく感動していた〉
〈ちびまる子ちゃんを、自分の子供がみて喜び、ファンレターまで書いている姿をこの目で見ることができるなんて、感無量である〉
類まれなる才能によって「ちびまる子ちゃん」という国民的キャラクターを生み出し、若くして社会的成功を収めて財力を得、ちびまる子ちゃん好きな息子にも恵まれたさくらさん。間違いなく“選ばれし者”だった彼女は、しかし、乳がんという病魔を撥ね退けることだけは叶わなかった。
さくらさんは1965年に静岡県清水市(現静岡市)で生まれている。高校時代から漫画誌「りぼん」に正統派の少女漫画を投稿していたが、同時期に書いたテストの作文が「清少納言みたい」と評価され、エッセー漫画に取り組むように。「りぼん」で「ちびまる子ちゃん」の連載が始まったのは漫画家デビューを果たした2年後の86年で、その後は慌ただしく成功の階段を駆け上がった。
そんな彼女は10年ほど前から闘病生活を続けていたという。漫画を描くことへの熱意を常に語っていた彼女が、漫画を描けなくなった時に感じたであろう無念さは計り知れない。
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