宮川選手を引き抜く気はなかった――「塚原千恵子」が告白する“体操パワハラ問題”全真相
女帝のように見えて
〈いま千恵子氏をめぐっては「女帝」「女帝」と、テレビもスポーツ紙も週刊誌も喧(かまびす)しい。そう呼ばれることに、本人に思い当たるフシはないのか〉
私は普段、選手ともコーチとも、ほとんど喋りません。朝日生命体操クラブでも、レギュラーを選ばなければならず、その際に贔屓しているなどと誤解を招く原因になりやすい。コーチと仲がよい親の子供が使われやすくなる、という話も一般に聞きます。それだけに、私は以前から、選手とも保護者ともベタベタしないようにしてきました。そのうえ、灰色が嫌いで、白か黒かをはっきりさせたいタイプ。だから周囲はやりにくいと思いますよ。それで、女帝のように見えてしまったのかもしれません。
1991年、全日本選手権で出場選手91人中、55人がボイコットする事件がありました。朝日生命の関係者が審判になって不公正な採点をしている、と批判されたのです。最初に主人の光男が騒ぎの責任をとって体操協会を辞め、追って私も辞めました。実は、ボイコットした人たちに対しては調査報告書が出され、根拠のない批判だったとして、譴責という履歴に残る重い処分が出たんです。
あのときも、私はしばらく喋らなかったので「貝になった女帝」などと言われました。雑誌にも「イメルダの功罪」「塚原一家は金丸一家」などと書かれながらも、ずっと黙っていました。ただ、私は悔しいので、翌年の全日本選手権から朝日生命の審判は全員外したのですが、結局、朝日生命が圧勝しました。それでもイメージが回復しないので、うちの審判を外したまま、勝ち続けたんです。
ところが、その間にいろいろ考えさせられることがありましてね。まだ中学生だった長男の直也が、同級生から「お前んち食っていけるんか」などと言われたそうで、家で食事中に泣いたんです。私は「パパは悪いことをして辞めたんじゃないから、いまからママが解決するから」と言って、「文藝春秋」に調査報告書について寄稿したんです。朝日生命からも怒られましたが、家族を守るために必死でした。
こうして主人が11年、私が12年、協会から離れていたので、私たちが長年、協会で強権を振るってきたという批判は、そもそも当たりません。それに私自身、地位にしがみつきたい気持ちは、少しもありません。
実は私、ここ3年ほどの間に、心臓3回と腸、肝臓と、全身麻酔が必要な大手術を5回も受け、痩せて体力も落ちていました。そこに、当時の協会専務理事の渡辺守成さんから「女子をオリンピックで復活させるのは、あなたしかいない」と言われ、いったん断りながらも強化本部長をお引き受けし、リオ五輪で4位にまで上げてきたんです。
そして、集大成として東京五輪の予選までやろうと思っていたところに、この騒ぎが起きてしまった。そのことが残念ですが、朝日生命に支えられ、44年間、体操の指導を続けてこられた。一度は辞めようかと思ったのですが、いつか真実が明らかになる日が来るかもしれません。そのときまで日本の体操のためにも真実を語り続けよう。いまはそう思っています。
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