養老孟司先生はなぜNHKアナウンサーを叱ったのか

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意味のないものにも意味はある

 NHK「おはよう日本」(9月2日放送)で養老孟司さんのインタビューが放送された。著書『遺言。』を題材に、現代社会の抱える問題を語ってもらう、という趣向で、養老さんは次のようなことを語っていた。

「現代の人は意識(アタマ)がすべてだと思っているが、そうではない。感覚(カラダ、五感で感じるもの)が大切だということを忘れてしまうとおかしなことになる」

 例として挙げたのが、『遺言。』でも扱った相模原市の障害者施設で起きた19人殺害事件の犯人だ。意識(アタマ)だけが先行してしまうと、意味のあるものにのみ価値を置くことになってしまう、そしていつの間にか、自分にとって意味がないと思えるものの存在が許せなくなる。あの犯人はそういう人間だったのだろう、というのが養老さんの見方だ。

「障害があって動けない人たちの生存に、どういう意味があるのか、そう犯人は問うた。

 その裏には、すべてのものには意味がなければならない、という(暗黙の)了解がある。さらにその意味が『自分にわかるはずだ』という、これも暗黙の了解がある。前段の『すべてのものには意味がなければならない』までは信仰として許される。しかし第2段の暗黙の了解が問題である。

『私にはそういうものの存在意義はわかりません』。そう思うのが当然なのに、自分がわからないことを、『意味がない』と勝手に決めてしまう。その結論に問題がある。なぜそうなるかというと、すべてのものに意味があるという、都市と呼ばれる世界を作ってしまい、その中で暮らすようにしたからである。意味のあるものしか経験したことがない。そういってもいい。

 山に行って、虫でも見ていれば、世界は意味に満ちているなんて誤解するわけがない。

 なんでこんな変な虫がいなきゃならないんだ。そう思うことなんて、日常茶飯事である」(『遺言。』より)

言葉で説明できないこと

 この番組で視聴者へのメッセージを色紙に求められた養老さんは、

「からだに訊け!」

 と一言。

 インタビュアーをつとめた男性アナウンサーは、即座に「具体的にどうすればいいんでしょうか?」と聞いたという。養老さんの答えは、

「そうやってすぐ答を求めるのがアタマだけで考えている証拠だ」

 叱られてしまいました、というエピソードを反省まじりにアナウンサーはスタジオで披露していた。

 もちろん、厳しく叱ったわけではなく、いつものような柔らかい口調だったようだが、実のところ、この「どうすればいいんでしょうか?」といった質問こそ、養老さんが長年、悩まされてきた問題の一つでもある。養老さんの名を一躍有名にしたベストセラー『バカの壁』の冒頭ですでに、この問題について詳しく語っているのだ。

 ここで例として挙げているのは、大学の薬学部である夫婦の妊娠から出産までを追ったドキュメンタリー番組を見せた時のエピソード。ビデオを見た女子学生のほとんどが「新しい発見があった。勉強になった」と答えたのに対して、男子学生は一様に「こんなことは保健の授業で知っているようなことばかりだ」という反応。

 なぜ同じものを見てこんなに差が出るのか。男子学生は「知識」でしか見ていなかった。だから「知っているようなことばかりだ」と反応した。一方、女子学生は切実な問題でもあるから、自分の身に置き換えて、妊婦の痛み、喜びといった感情、さらに付随するディテールにも興味を持った。

 アタマでのみ考えた男子学生と、カラダの感覚こみで見た女子学生の差が出た、というのが養老さんの出した結論だ。

「安易に『わかっている』と思える学生は、また安易に『先生、説明して下さい』と言いに来ます。しかし、物事は言葉で説明してわかることばかりではない。いつも言っているのですが、教えていて一番困るのが『説明して下さい』と言ってくる学生です。

 もちろん、私は言葉による説明、コミュニケーションを否定するわけではない。しかし、それだけでは伝えられないこと、理解されないことがたくさんある、というのがわかっていない。そこがわかっていないから『聞けばわかる』『話せばわかる』と思っているのです。

 そんな学生に対して、私は、『簡単に説明しろって言うけれども、じゃあ、お前、例えば陣痛の痛みを口で説明することが出来るのか』と言ってみたりもします。もちろん、女性ならば陣痛を体感できますが、男性には出来ない。しかし、それでも出産を実際に間近に見れば、その痛みが何となくはわかる。少なくとも医学書だの保健の教科書だのの活字のみでわかったような気になるよりは、何かが伝わって来るはずです。

 何でも簡単に『説明』さえすれば全てがわかるように思うのはどこかおかしい、ということがわかっていない」(『バカの壁』より)

 意識(アタマ)が優先して、感覚(カラダ)が置き去りになってはいないか。現代人はアタマでっかちになっているのではないか。これは『バカの壁』の頃から一貫して養老さんが提起してきた問題である。

「どうすればいいか」を安易に聞く前に、まずは体を動かす。感覚を磨く。外に出る。自然と触れ合う。それで自分がどう変わるかを経験してみるのが大切だ、ということなのだ。

デイリー新潮編集部

2018年9月12日掲載

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