「政府」「医師会」「メディア」の無知と沈黙が引き起こした「強制不妊」

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 強制不妊を巡る議論が世間の関心を集めている。

 きっかけは、今年2月13日に『ワセダクロニクル』が始めたシリーズ「強制不妊」だ。8月28日現在、26回の記事が配信された。

根拠は「優生学」

 強制不妊とは知的障害者や精神障害者を対象に、本人の同意がないまま不妊手術を行うことだ。1948年に施行された優生保護法に基づき、始まった。当初、強制不妊手術の対象は精神や身体の遺伝性疾患を有する人だったが、施行4年後には、対象は遺伝性疾患以外にも拡張された。1996年に母体保護法に改正されるまでに、少なくとも1万6475人が施術を受けさせられた。

 対象は国家が選択した。施術を行うにあたり、都道府県の審査会が「適当」と判断すれば、本人の同意は必須ではなかった。本人の意向を無視した手術も少なくなかった。

 このことは以前から世界の注目を集めていた。1998年11月には、国連の市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)委員会(当時)が、「委員会は、障害を持つ女性の強制不妊の廃止を認識する一方、法律が強制不妊の対象となった人達の補償を受ける権利を規定していないことを遺憾に思い、必要な法的措置がとられることを勧告する」という声明を発表している。

 強制不妊の理論的な根拠は優生学だ。この考え方をはじめて提唱したのは、英国のフランシス・ゴルトン(1822~1911)である。かのチャールズ・ダーウィンの従兄弟で、人類学・統計学・遺伝学の泰斗であった。

 ゴルトンは1869年に出版した著書『遺伝的天才』の中で、人の才能がほぼ遺伝によって引き継がれると考え、家畜の品種改良と同じ要領で、人間も人為的な選択をすれば社会を発展させることができると主張した。

 福祉や医療の発達により、淘汰されるべき弱者が生き残ることを「逆淘汰」と呼び、社会を劣化させると考えた。

 19世紀半ば、英国では資本主義が急成長し、貧富の格差が拡大した。1859年にはダーウィンが『種の起源』を発表し、生存競争が生物進化の原動力であると提唱した。

この概念を社会進歩に応用したのが、優生政策だ。1907年には米国で断種法が制定され、精神障害者などに対する強制不妊手術が認められた。同様の法律は、北欧諸国・スイス・ドイツなどでも制定された。

 北欧のような福祉国家が断種法を制定したことに違和感を抱かれる方も多いだろうが、当時は福祉サービスの財源を確保するために、弱者を減らすことが合理的と考えられていたようだ。

世論を変えた『ワセダクロニクル』

 優生政策の転機は第2次世界大戦だ。ユダヤ人虐殺などのナチスの人種政策が、優生政策のイメージを悪化させた。

 厳密にいうと、弱者の抹殺は優生政策とは異なる。当時の優生学者の中には、ナチスの人種政策を批判した人が少なくない。優生政策は、弱者を生まれないようにすることであり、殺すことではないからだ。

 ただ、社会はそうとは受け取らなかった。「ナチス=悪」のイメージと、人権の尊重などの議論が相まって、多くの先進国で優生政策は衰退した。

 例外は日本である。前述したように、優生保護法に基づき、1948年から1996年まで48年間も強制不妊手術が行われてきた。

 この政策を推し進めたのは谷口弥三郎(1883~1963)だ。谷口は、私立熊本医学校(現熊本大学医学部)を卒業した産婦人科医だ。ドイツへの留学を経て、1915年には母校の教授となる。1947年には第1回参議院議員選挙に出馬し、当選する。そして、優生保護法を提案する。

 戦前、谷口は国策である「産めよ、殖やせよ」に賛同し、熊本で婦人を中心とした人的資源調査を行っていた。戦後、一転し、優生保護政策を支持する。機を見るに敏な人物だったのだろう。

 谷口は参議院議員を務める傍ら、1950~52年まで日本医師会会長を務め、1953年には久留米大学の第2代学長に就任した。久留米大学には現在も谷口の銅像がある。

 優生保護法については、当時から批判も多かった。日本を占領していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は「医学的根拠が不明」と批判し、見直しを求めたことがわかっている。

 強制不妊は、我が国の恥ずべき歴史だが、これまで、この問題を議論する専門家やメディアはほとんどいなかった。突破口を開いたのが、渡辺周(まこと)氏が率いる『ワセダクロニクル』だ。彼らは世論を変えた。

 この文章を書いている8月29日現在、朝日・毎日・読売新聞で「強制不妊」を含む1119の記事が報じられているが、そのうち1003報は、『ワセダクロニクル』が最初の記事を配信した2月13日以降に配信されたものだ(図1)。図2は2月の記事数を示す。『ワセダクロニクル』が突破口を開いたことが一目瞭然だ。

 ちなみに、新聞各社でも対応には格差がある。記事数は朝日新聞286報、毎日新聞472報、読売新聞245報だ。毎日新聞が力を注いでいるのがわかる。

 「突破口を開いたのは『ワセダクロニクル』であるのは自明」(大手新聞記者)だが、朝日・毎日・読売新聞は、強制不妊の記事で『ワセダクロニクル』に言及していない。みっともない。

 実は、私が主宰するNPO法人医療ガバナンス研究所は、『ワセダクロニクル』のこの調査に協力してきた。医学的事実関係は、『ワセダクロニクル』とともに英文医学誌にも投稿する予定だ。

「宮城県百年の大計」

 今回の調査で明らかとなった問題はなんだろう。

 最大の問題は、医学的に誤りであるにもかかわらず、政府が強力に主導し、地方自治体、医師会、メディアが追随したことだ。我が国を滅亡の淵に追いやった第2次世界大戦と同じ構造が繰り返されたことになる。

 例えば1957年、厚生省(当時)が都道府県に対して、強制不妊手術の実績をあげるよう通知していたことが判明している。強制不妊手術は都道府県単位で実施されていた。遺伝性疾患を対象とした優生保護法4条に基づく強制不妊手術の施行数は、トップの北海道(2593件)から、もっとも少ない鳥取(11件)まで格差があるが、すべての都道府県で実施されたことがわかっている。

 政府の意向を受けて、自治体は手術件数を増やそうと競い合った。

 1406件の強制不妊手術を実施した宮城県では、1957年に精神薄弱児福祉協会という団体が設立された。会長には内ヶ崎贇五郎(うんごろう)・東北電力社長が就任し、理事には阿部哲雄・宮城県医師会会長や八木洋太郎・宮城県PTA連合会会長らが名を連ねた。さらに、大沼康・宮城県知事、一力次郎・河北新報会長らが顧問に就任した。まさにオール宮城といっていい陣容だ。

 なぜ、このような大袈裟な組織が必要だったかといえば、「後ろめたいことも、みなでやれば怖くない」という心理が働いていたからだ。少し長くなるが、『ワセダクロニクル』の記事を引用しよう。

 〈そのかぎは、「宮城県精神薄弱児福祉協会趣意書―ちえおくれの子をしあわせにするしごとのかんがえ―」にあった。

 趣意書は協会が手がける仕事について、こう明記していた。

 「遺伝性の精神薄弱児をふやさないという優生手術の徹底」

 さらに「優生手術を徹底」することについては次のように書いた。

 「しかし、へたをすると、これは人権の侵害になります。ですから、これをやるためには精神薄弱児に対する愛の思想が県民のなかにもり上って、人間が人間を愛していくというヒューマニズムの土台の上で、この仕事が行われなければなりません」

 「この仕事はいま、どこの県でも手をつけようと考えながら、前に申したようなさまたげがあって徹底的にやることができないでいるのです。宮城県百年の大計として、民族の再建を考えるなら、どうしてもやらなければならない仕事です」

 つまり、民族を再建するため、「宮城県百年の大計」として、強制不妊手術を徹底的に行う必要があるから、宮城県内の有力者が集結して協会を作ったということだ。〉(2018年3月2日掲載)

 私は、この議論を読んで暗澹たる気持ちとなった。少し勉強すれば、高校生でも理解できるような科学的事実を無視して、思い込みで人権を踏みにじる政策を推し進めていたからだ。

れっきとした「犯罪」

 当時、世界では遺伝の研究が進んでいた。このあたりは、シッダールタ・ムカジーの『遺伝子―親密なる人類史―』が詳しい。一読をお勧めしたい。以下のように、ムカジーの著作では述べられている。

 彼が注目するのは、精神遅滞などの表現形が必ずしも遺伝が原因とは限らないことだ。このことは、はるか以前から議論されている。

 例えば、1924年にはドイツの優生学者であるヘルマン・ヴェルナー・ジーメンスが、一卵性双生児と二卵性双生児を厳密に区別した双生児研究を提唱しているし、医師でナチスのSS(親衛隊)将校となったヨーゼフ・メンゲレは強制収容所の双子を対象として、チフス菌への感染や血液型の異なる血液の輸血など、残忍な人体実験を行った。ことの是非は兎も角、第2次世界大戦当時、すでに遺伝要因と環境要因を区別する議論が始まっていた。我が国で強制不妊が始まる25年ほど前の話だ。

 遺伝・環境要因の研究と並行して、遺伝的多様性についての議論も進んでいた。きっかけは1930年代、米国に移住したウクライナ出身の生物学者であるテオドシウス・ドブジャンスキだ。彼は遺伝子配列の異なる変異体を有するハエ集団を用いた実験で、食餌や気温など環境要因を変えると、優生となるハエのタイプが変化することを証明した。そして、環境変化に強いのは、多様な変異株を有する集団であることを示した。

 同時期、欧米の優生学者たちは人間を「改良」するため、人為的な選択が必要だと主張していた。しかしながら、ドブジャンスキなどの研究をきっかけに、種の繁栄のためには、劣勢の表現型を持つ個体を断種するよりも、多様性を維持する方が望ましいと考える研究者が趨勢となっていった。ヒトも生物だ。例外ではない。

 私が、日本での強制不妊のことを知って暗澹たる気持ちとなるのは、その思考に合理性がないことだ。有識者とされる人々が、場の空気に流され、満場一致で決断を下していく。メディアは、その御先棒をかつぐ。

 医師も例外ではない。専門家である医学界を代表して、医師会の幹部も加わるが、多くは不勉強で、世界の医学界の議論にキャッチアップできていない。

 このような有識者は、事態が悪化しても責任をとらない。『ワセダクロニクル』が報じるまで、厚生労働省はもちろん、日本医師会もメディアも沈黙を決め込んだ。

 これは、挙国一致で第2次世界対戦につっこみ、日本を滅亡の淵に追いやった戦前、戦中のリーダーたちと一緒だ。「靖国で会おう」と戦地に若者を送ったが、敗戦後はいろいろな理屈をつけて延命をはかった人が少なくない。無責任だ。周囲もそれを許してしまう。

 医療界も同じだ。ナチスの命令で人体実験に関わった医師は、ニュールンベルグ裁判で処刑された。医師は神と契約した聖職であり、患者を守る自己規律が求められると判断されたからだ。ところが、満州で人体実験を繰り返した731部隊は、実験データを米国に引き渡すことと引き換えに免責された。戦後、日本の医学界の重鎮となった医師も多い。

 国家を挙げた強制不妊手術は、れっきとした「犯罪」だ。当時の医学的な常識を著しく逸脱している。なぜ、間違えたのか。誰が間違えたのか。今後、同じ過ちを繰り返さないためにも、今こそきっちりと調査しなければならない。

上昌広
特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。
1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。

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Foresight 2018年9月10日掲載

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