ちびまる子ちゃん「さくらももこさん」が遺してくれた「爆笑エッセイ」
「ちびまる子ちゃん」の原作者・さくらももこさんが8月15日、乳がんのために亡くなった。享年53。訃報がもたらされたのは8月27日のことだった。
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さくらさんの活動は幅広く、本誌(「週刊新潮」)では斎藤由香さんのエッセイ「窓際OL トホホな朝ウフフの夜」のイラストを描く一方、自身が編集長を務めて取材から執筆まで担当した雑誌「富士山」(新潮社)はシリーズ化されて5巻を数えた。さくらさんを担当した新潮社の編集者は、
「さくらさんは、ちびまる子ちゃんを大人にしたような無邪気な面がある一方、気遣いの人でした」
静岡県清水市で生まれたさくらさんは1984年に漫画家デビューし、その2年後には「りぼん」で「ちびまる子ちゃん」の連載を開始。90年からアニメ化されて国民的人気番組になったのはご存じの通りだ。
また、富士山シリーズの取材旅行ものを集めた『またたび』は現在、文庫化されている。そこから“気になっていた街ハバロフスク”の一部をご紹介しよう。
〈さんざん道に迷い、やっと変なショーをやるバーにたどり着いた〉〈まもなく、仮面をつけた、いかにも変態そうな男が店の奥から現れ、曲に合わせていやらしい動きの踊りをやり始めた〉〈ズボンを脱いだ男は、何を思ったのか急に踊りながら私のところへ近づいて来たので私はギョッとした。逃げたかったが逃げられないのでそのまま仕方なく座っていたのだが、とうとうその男が私の隣(となり)まで来て私の腕をなでたので私は「キャー、なにすんのさ」と叫んでその男の手をパシリと叩いて追い払(はら)った〉
「さくらさんの発案で、広州へゲテモノを食べる取材旅行へも行きました。食堂でカメのスープやサソリの唐揚げを出されると、彼女はそのグロテスクさに驚いたのか、“食べなよ”といって、結局、我々が食べたのです。取材旅行はハプニングも含めて、どれも楽しいものでした」(先の編集者)
まるちゃんは永遠に。