侍従日記が明るみに出す「昭和天皇」戦争責任の苦悩 “東宮ちゃん”今上天皇に引き継がれたもの
「昭和天皇」戦争責任の苦悩が生んだ「今上陛下」の「制服アレルギー」(1/2)
「戦争責任のことをいわれる」――。今般、公となった元侍従による日記には、昭和天皇の偽らざる肉声が赤裸々に綴られていた。敗戦の責任を明言できない苦悩。やまぬ譲位への思い。それは今上陛下に引き継がれ、「制服アレルギー」に繋がって行ったのである。
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歴史にイフはないけれど、決断の連続である人生(life)の真ん中には【if】が潜んでいる。それは単に言葉遊びとしてのみならず、あのとき別の選択をしていたなら……と考えたことが一度ならず誰にもあるはずだ、という人生の虚しさを言い当ててもいる。
帝王学を受けた昭和天皇にも同じような人生訓を当てはめるのは些か浅慮に過ぎるかもしれない。しかし、平成最後の夏も終わりに近づいた8月23日、昭和天皇の人間らしさが垣間見えるエピソードが各紙に掲載された。
〈「戦争責任言われつらい」侍従記録 晩年の昭和天皇吐露〉(毎日)
〈昭和天皇「戦争責任をいわれる」 晩年「辛いこと多く」 侍従記録〉(朝日)
記事の中身は、大要以下の通りである。
・昭和天皇が85歳だった1987年4月7日。「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と発言されたことを示す日記が見つかった。
・日記を記した故・小林忍氏は74年4月から昭和天皇の侍従となった。日記は香淳皇后が崩御される2000年6月までの26年間に亘る。
・日記は共同通信が小林氏の遺族から入手し、その一部を報道各社に公開した。
宮内庁は当時、昭和天皇の体力の衰えを考慮し、公務の負担軽減を模索していた。この年の2月には弟の高松宮に先立たれ、4月29日の天皇誕生日の宴会では嘔吐。同9月には歴代天皇で初めて開腹手術を受けられている。日記の記述はそういった事情と符合することに加え、既に公表済みの先輩侍従・卜部亮吾氏の日記にも、同じ4月7日に、「長生きするとろくなことはないとか 小林侍従がおとりなしした」とあり、今回の日記は、昭和天皇の心のうちをより克明に示す“発見”と言えよう。昭和天皇が秘めざるを得なかった贖罪の念が、その背中を見て育った今上陛下の制服アレルギーや生前退位への思いに繋がって行くのだが、まずは今回の日記の価値を識者に評してもらおう。
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