韓国戦敗戦「吉田輝星」の“881球問題”を検証 プロで「大成しない」不吉データ

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甲子園が確実に蝕む「投手の肩」

 では逆に、現在のプロ野球で成功している投手の現状を見てみよう。17年のプロ野球で、セ・パ両リーグの勝ち星ランキングのベスト5を並べてみる。そして、この10人が高校時代、甲子園に出場したかを調べてみた。これも表でご覧いただきたい。

 外国人2人を除いた8人のうち、なんと5人が甲子園とは無縁だ。夏どころか、春のセンバツさえ出場経験がない。

“少数派”の筆頭が、パリーグ1位に輝いた、西武の菊池雄星(27)だ。09年、花巻東のエースとして甲子園の出場を果たした。重要なのは1人で全試合を投げ抜いたわけではないということだろう。大会中は複数の控えピッチャーに助けられている。

 そのため菊地は準決勝に進みながら、合計445球に抑えた。斎藤佑樹や吉田輝星の半分ということになる。

 パリーグ2位、ソフトバンクの東浜巨(28)も興味深い。春のセンバツとはいえ、08年に沖縄尚学で優勝した。その大会の球数は579球。特筆すべきは大会通算の防御率0.66という数字だ。

 毎回のように進塁を許しながらも、奇跡のように0点に抑えていく。そういう試合もあるにはある。だが、基本的に失点の少ない試合では、同じように投球数も少ないと考えるべきだろう。それは高校野球もプロも変わらないはずだ。

 投球数が少なければ、肩の消耗は減る。逆に登板回数は増える。彼らは絵に描いたような好循環を達成し、勝ち星のベスト5にランクインしたに違いない。

 甲子園の経験がない巨人の菅野智之(28)や、2回戦で敗れた阪神の秋山拓巳(27)は肩を消耗していない。そして菊地も東浜も、消耗を可能な限り抑えることができた。

 これがマイコラスやバンデンハークといった外国人投手となるとレベルが違うだろう。彼らが高校3年生だった時の投球数は、斎藤佑樹や吉田輝星に比べると、お話にならないほど少なかったはずだ。

 次はベクトルを逆にしてみる。上で「プロ野球で成功した選手の甲子園出場記録」を見てみたが、これをひっくり返して「夏の甲子園で優勝した投手はプロ野球で活躍しているのか」を調べてみた。10年間、10人の投手の“進路”を調べ表にしてみた。

 表の通り、プロに進んだのは7人。知名度が高いのは広島の堂林翔太(27)、阪神の藤浪晋太郎(24)、西武の高橋光成(21)の3人だろう。しかし堂林は打者に転向。藤浪は低迷中と言わざるを得ず、高橋は17年シーズン、右肩痛で苦しめられた。

 これを「夏の甲子園で優勝するとプロとしては大成しない」というジンクスに結びつける向きもある。だが、縁起とか因縁という話ではないはずだ。甲子園で決勝まで進めば、絶対に投球数は増える。高校3年生の肩を消耗させたのは事実だ。

 念押しのため、日本のプロ野球史上、最も活躍した5人の投手が、甲子園に出場したか否かを調べてみよう。「プロ野球・歴代勝利数ランキングと、夏の甲子園の出場経験」という表にしてみた。

 1位から5位まで、夏の甲子園は出場経験が全くない。あまりに鮮やかで、笑ってしまうほどだ。

 金田正一(85)、米田哲也(80)、小山正明(84)のベスト3は、春のセンバツも出場していない。鈴木啓示(70)は65年、春のセンバツには出場したが、何と初戦(2回戦)で敗れてしまっている。

 5位の別所毅彦(1922〜1999)は甲子園で“伝説”を残しているが、これも春のセンバツだ。

 41年――というより昭和16年の選抜中学野球大会・準決勝で岐阜商と対戦。別所は9回表に本塁クロスプレーで骨折してしまう。控え投手など誰もいない。別所は左腕を三角巾で吊って投げ続け、延長14回で敗れた。

 ベンチで大泣きする別所を大阪毎日新聞のカメラが撮影。翌日の紙面に掲載され、「泣くな別所、センバツの花だ」と見出しで賛辞を送られた。だが夏の大会は太平洋戦争の影響で中止となってしまう。

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