終わらない平成?(古市憲寿)

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 このところ「平成最後の夏」という言葉をよく見かける。平成は2019年4月30日で終わるため、よほどの異常気象にならない限り、今が平成時代、最後の夏になるというわけだ。

 改元は、一生のうちで何度も経験できるものではない。「平成最後の夏」に浮かれる気持ちはわかる。グーグルでは「恋」や「彼氏」といった言葉が一緒に検索されることが多いようだ。

 メディアでも、平成を振り返る特集が溢れている。僕も平成最後を何かの形で記録しておきたくて、小説を書いてみた。評論やエッセイよりも、物語の力を借りる方が、うまく平成という時代を表現できると思ったのだ。

 タイトルは「平成くん、さようなら」。現在発売中の「文學界」9月号に掲載されている。原稿用紙230枚の中編で、今まで書いた小説の中で一番長い(って、まだ2作目なのだけど)。

 舞台は2018年の日本。現実と一つだけ違うのは、1990年代に安楽死が合法化され、今では世界中のどの国よりも死にやすくなっているということ。死期が迫っていたり、深刻な肉体的苦痛のない人にも安楽死の門戸が開かれている。

 物語は、1989年1月8日生まれの「平成くん」と呼ばれる主人公が安楽死を考えるところから始まる。平成が終わり、自分が時代遅れになることを危惧する平成くん。彼は、映画の脚本を書いたり、メディアのコメンテーターを務めたりする、いわゆる若手文化人だ。当然、部分的には僕自身の経験を書いている。

 話は若干それるが、映画プロデューサーで小説家の川村元気が、ノンフィクションよりも小説のほうが、本当の自分を見られるようで恥ずかしいと言っていた。確かに小説の登場人物は、しばしば作者そのものだと思われがちだ。万が一読んでくれた人のためにいうと、僕は平成くんほどひどいセックスはしていない。

 もう一人の主人公は愛ちゃん。平成くんと同い年で、彼と一緒に暮らしている。彼からの突然の告白に戸惑い、何とか安楽死を食い止めようとする。

 冒頭のあらすじはこんな感じだが、書きたかったことの一つは「本当に平成は終わるのか」。

 平成最大の変化の一つは、IT環境の劇的な進化だ。誰もがスマートフォンを持ち歩き、日々膨大な量の写真や動画が撮影され、それが共有されるようになった。

 つまりインターネット上には、平成が終わっても、無限ともいえる量の「平成」が残されることになる。一人の人間がどんなに頑張ったところで、アーカイブされた「平成」を見尽くすことはできないだろう。つまり新しい元号の時代になっても、永遠に「平成」は消えないのではないか。

 2019年に本当に平成は終わるのか。僕なりの答えは小説に書いたつもりなので、興味のある人は「文學界」を読んで欲しい。また他社の宣伝をしてしまった(「週刊文春」のバスツアーにガイドで参加する中瀬ゆかりよりはマシだとは思いますけどね)。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2018年8月30日号掲載

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